蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

お知らせ(ブログ掲載先の引っ越し)

唐突ながら、この度、諸般の事情に伴い、ブログを引っ越し致しました。新たなアドレス「蓮華童子の日記(第2版)は以下になります。(↓)

 

2022-01-01から1年間の記事一覧 - 蓮華童子の日記(第2版) (hatenablog.jp)

 

どうぞ宜しくお願い致します。

合掌

 

孔雀経法~第四座

孔雀経法を修法。本日の一座は「大荒れ」でした…。

そもそもの次第書を取り間違える→それに気づいて最初からやり直す→焼香をこぼす…etc。

「諸々あるんだろうな…」も一瞬脳裏を掠めたのですが、先ずは自己管理の甘さを反省すべきなのだと思い直し、大金剛輪印言を結誦しつつ、「もう一度やり直しさせて下さい」と、今度は慎重に、そして、いつもより「ゆっくりと」行いました。

こういう事は前にもありましたが、滅多にあることではなく、改めて修法に臨む時、自らの姿勢を律することの大切さを考えました。

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ともあれ、10月も終わり、来月からは年末にかけての追い込みが始まるタイミングです。気を引き締めて、今目前にある課題を着実にこなし、さらには、自分が目指す先に思いを巡らしながら歩みを進めていく所存です。

「南無三世仏母孔雀大明王

合掌

孔雀経法~第三座

孔雀経法を修法。

先週は父の納骨式があり、二週間ぶりの修行となりました。

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会社では、水曜日と金曜日の二回に分けて「ビジネス英単語の講座」の講師をしました。希望者を募ったところ、私の所属する東京支店だけでなく、関西支店からも応募があり、最終的に計40名もの参加者になりました。正直驚きました😅

「英語をそんなに使わない人もいるけど、そういうのは関係なくて、そもそものプレゼンの内容だとかも観てみたい人がいるんですよ」と、隣の課の課長さんが話してくれました。

「うちの会社は今まで、こういう自主的な講習がなさ過ぎたんだよね」と。

ともあれ、色々と試行錯誤を重ねながら、自らに課した「出過ぎた杭は打たれないプロジェクト?!」をこれからも推進して、何らかのお役に立てるように頑張って参ります。

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開白座のブログに書いたことに関連するのですが、正面に荘厳している仏画は(記憶が正しければ)東京国立博物館で2001年に開催された「国宝 醍醐寺展『山からおりた本尊』」を拝観した際、売店で購入したものではなかったかと思います。

修法中にフッと感じるものがあり、「そう言えば」という気持ちです。あれから21年経って、この「国宝孔雀明王像」の色紙を開眼し、至心に拝めるようになったこと――、「ジッと見守って、そして、待っていて下さったのかな」。そのように思った瞬間、身の引き締まる思いが致しました。

その2001年の醍醐寺展のチケットは、先代の師匠が自費購入されて、弟子らに配布されたものです。私もその一枚を頂戴したのです。「本当に有り難いことだ」―――、この一言に尽きます。

ただただ「師恩」を感じるばかりです。一層の精進を誓いました。

「南無三世仏母孔雀大明王

合掌

父の納骨式

今日は父の納骨式で横浜へ。

場所は東光禅寺というお寺で、鎌倉殿の13人の1人、畠山重忠公が開基された臨済宗のお寺です。本尊さまは「薬師如来」です。

仕事柄、生前の父と同じく立業貿易に関わっている身としては、今の職場で奮闘することが最大の供養になると思って「頑張るつもりでいるから」と伝えました。

今の職場でこの10月から入社された税関OBの方がおります。父の35年前の部下だった方だということが分かり驚いています。何でもNACCSセンターで部長職を任されていた父と「しょっちゅうお酒を飲みに行っていましたよ」とのこと。ヘロヘロになった父は、よく眼鏡を無くしていたとのことでした。。😅

叔父の一件と言い、父の件と言い、税関OB二人の御霊と一緒に仕事しているつもりで――、「最強!」デス(笑)😊

合掌

令和四年壬寅 太元帥大法

別稿でも記した通り、昨日本山にお参りしました。醍醐寺にて修法されてきた太元帥大法が150年振りに再興され、その一座に参座されることが許されたからです。

上の写真で最初にお断りしておきたいのですが、幕の色は水白でした。撮影感度の影響で、黒白に映っていますが、水白でした。要は「神祇のいます聖域」ということであります。

この建物の中にある「純浄閣」で、参座者一同は待機。その後、担当されている別当僧のご案内で修法道場である「彌勒堂」に向かいました。(因みに純浄閣と彌勒堂に通されたのは伝法灌頂の時以来になりますので、15年振りということになります)

今回特筆すべきは、修法道場内に参座させて頂けたことであります。無論、行法の性質上、宗内関係者に限定されたものです。修法道場の一般公開「後拝み」は10月10日からとのことです。

さて、別当長さまのお話しの中に「開かれた皇室」というものがありました。それは今上陛下が皇太子時代の最後の訪問地として醍醐寺を訪れた際、門跡猊下と親しく懇談された中で、特に強調されたとの内容でした。

鎮護国家の祈り、即ち「世の中の平和と安寧を祈る」という行法の主旨と、その懇談内容とのバランスと申しますか、天皇陛下の代替わりにのみ修法される秘法との関連性を考慮しつつ、現代社会にどのようにフィードバックしていくべきか――、社会との接点を見出すべくの「一致点」を(僭越ながら)さまざまに模索された結果をそこに垣間見たような気がして、非常に印象深く受け止めました

www.daigoji.or.jp

今回の道場荘厳に際しては、上記リンク先にあるよう「醍醐寺文書:太元御修法道場支度記、宮中太元帥御修法図」や、昭和三年十一月に教王護国寺にて修法された「支度記」などを参考に、可能な限りの復興を目指したとのことです。

実際、道場の規模などで、思うに任せない配置(恐らく四種護摩壇などの配置ではないかなと…)があったとのことでしたが、それでも「聞きしに勝る」圧巻の荘厳を目の当たりにし、同時に大法ならでは大勢の職衆供僧の熱祷を目前にして、深い感銘を受けました。

若しかしたらこれが「最初で最後の参座」なのかも知れません。一方、世界全体を見回せば、戦火に見舞われている国が今この瞬間あるわけで、独り日本だけが平和のうちに繁栄を享受していれば良いとは到底言えない、そのように思っております。

当日の参座を記念して、参座者には「御影のお守り(左)」と「御香水」が授与されました。別当長さまからは、「この御香水は本日修法にも同じく使用されたお下がりであります。ご自宅の清浄なる場所に安置して、次の天皇陛下が即位される御代まで大切にして頂きたい」とのご説明がありました。

早速、本日の掃除をして後、自坊の本尊大聖不動明王の脇に安置致しました。これから日日の祈りを通じて礼拝していく所存です。

合掌