蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

一法界ソリヤ法(理趣法)~第八座

理趣法を修法。

昨日、映画「プラン75」を観てきました。近未来の日本で「75歳以上の高齢者が死を選ぶ権利を認める法案が国会で可決成立し…」というところから物語は始まります。

先ず、全体を通じて非常に抑制的なトーンで描かれている分、観ている人たち一人ひとりに深く深く考えさせる映画だなと感じました。

当日は満席(!)でした。そして、その9割は白髪まじりのシニアの方々でした。内容が内容なので、シニアの方の強い関心を引いたのかも知れません。

他方、映画が終わった後はいたたまれない気持ちに襲われた方も、若しかしたら(かなり)いらっしゃたかもしれません…。

それにしても、主役「角谷ミチ」を演じた倍賞千恵子さんの存在感は表現しきれないくらい大きいものでした。観ていた人の多くが、寅さんの妹さくらとダブらせていたことはまず間違いないでしょう。

何と言うか、これだけ抑制的なトーンで描かれた重たい映画にあっても、倍賞さんがいらっしゃたことが、ある意味救いだったかも知れません。仄聞するところでは、カンヌ映画祭の審査委員から「とてもエレガントだった」という評価のあった由。私も同感です。

「ノーメークの高齢者老婦人」を演じても、なお漂い続ける「人としての気高さ」。映画のもつ「薄暗いテーマ」を補って余りある――、そのように感じた次第です。

追記

映画予告にある「絵空事ではない」とのコピーを思い出す度に、若い人たちにも観て欲しいなと思いました。

filmaga.filmarks.com

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谷(たに)響きを惜しまず、明星(みょうじょう)来影(らいえい)す。

三教指帰(さんごうしいき)」~

(Quote)

私事を申して恐縮ながら、思い返せば昭和22年(1947)の春、23歳の時、私は重い肋膜の病の身をかかえ、お四国八十八ヵ所巡拝に出た。「兄の縁談が私の病気のためにこわれかかっている」と聞いて、いたたまれずお大師様にお助けをお願いに参ったのである。

そして第二十一番太竜寺(たいりゅうじ)でお参りをすませて下りようかとナと思った時、七丁ほど(約800メートル)向こうの小高い所で数人の白装束のお遍路さんがチンチンと鈴(れい)を振って拝んでおられるのが見えた。「私も拝ませていただこう」と何の気なしにそこへ参った。

そして私は、

「お大師様。兄の縁談が私の病気のためにこわれたりしませぬように、どうかお願い致します。もう所詮助からない病気なら、どうか一日も早くあの世に引き取っていただきたい。」

「しかしお大師様、本当は生きたい!」

「もしこれから先、お大師様のお役に少しでも立つようでありましたら、どうか仕事のつとまる程度の健康体にしてほしい」

とお願いした。

そして私は一人山中で泣けるだけ泣いていた。目玉が熱く感じる涙が出た。すると後ろから、そっと抱きかかられたような感じがして、「お大師様に救われた!」と感じたが、この山中の声を聞いて❝霊験❞をいただいたことを確信した。

その時は何も知らなかったが、後から聞くとそこが南舎心殿(みなみしゃしんでん)といって、お大師様が正(まさ)しく求聞持法を修行された霊跡であったのである。

それから私は薄紙をはぐように次第に元気になって、兄の縁談は無事に成立した。

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弘法大師空海百話」佐伯泉澄著 東方出版1984年(2002年第19刷発行)

(Unquote)

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僭越ながら、「その刹那、お大師さまに寄せる揺るぎない信念を固められたに違いない」――。私にも、尤も佐伯先生のそれに比べるべくもないちっぽけなものかも知れませんが、同様の(まさに崖っぷちまで追い詰められて涙を流して助けを求めた)お大師さま体験があります。もう20年も前になりますが、佐伯先生のご本のこの一節を目にした時、その時の体験がありありと脳裏に浮かびました。次の瞬間、この文章がそのまま目に飛び込んで来て、そして、そのまま脳裏に焼き付いて今に至っています。

「南無大師遍照金剛」

合掌