一法界ソリヤ法(理趣法)~第九座
理趣法を修法。
懸案の「新しい景色を見る」ですが、7月からI社に行くことになりました。この会社は自分自身の経験やスキルを活かせそう――、それは勿論のことですが、最終的な決め手となったのは、10年以上前に亡くなった叔父のI社名刺が出てきたことです。
このお話をP社から紹介された時、その名刺が出てきた訳です。「心配してくれているのだろうな」と感じて、その後、再就職活動中は自分の名刺ケースに入れ、お守り代わりに携帯していました。
実は、その叔父はY税関を退官後、参事職としてそのI社に迎えられ、数年間お世話になっていたのです。その名刺を渡された時、照れくさそうに「何時に行っても三時です」という「寒いジョーク」を――、その時の表情が忘れられず、今でもよく思い出します。
今回、理趣法を拝むに当たってそのことが常に頭にあり、有り難く感じるとともに、ともすれば気落ちしそうになりがちな活動期間中に勇気をもらっていました。
尤も、冗談好きな伯父らしく「○○ちゃん、あまり気にするほどのことないよ、大丈夫だよ、平気だよ、へへへへ」って感じの「カジュアルな」「声なき声で」励ましてくれてましたが…(笑)
+++
念誦の時、もし散心有らば、出入りの息を感じて一法界と為して、我が身及び本尊をこの一法界に摂し、また一切の諸法をこの一法界に摂す。然して後に念誦せよ。
(秘蔵記)
+++
これを紹介された佐伯大僧正は、東寺長者だった日下義禅猊下のことをご著書で回想されています。
「毎朝四時に起床して聖天浴油法を修行されるが、時に禅定が得られず雑念が起きる時があり、そういう時はそれが止んで寂静な気持ちになるまで何時間でも拝むと仰っていた」
「独身で卵くらいは召しあがる精進であったが、いつもニコニコとして円満なお顔をなさっていた」
「京阪神の信者の方が、猊下によくお会いに来ておられた。雑談をするだけだと仰せられていたが、その温容に接するだけで、満足して帰られていたようである」
「至心に拝まれていたら、それだけで霊的に救われるのだろう」
「雑念が起きたらそれが止むるまで拝み続けるという意気込みに(何度かその謦咳に接した時、すごい威神力があったと感じて)、感銘を受けた」
『弘法大師 空海百話Ⅱ 東方出版 2009』より抜粋編集(文責:蓮華童子)
+++
「南無大師遍照金剛」
合掌