蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

本間先生

先日、山形のK師より二枚組みのCDを頂戴した。非売品とのこと。ある意味当然であることは、封を解いて直ぐに分かった。

一枚目は故本間龍演師(以下、本間先生)の立螺。二枚目は三井寺宝満山、彦山の立螺で、各山現役の行者師の吹奏だ。『これによって伝承された立螺のおよそ9割が網羅されるだろう』とは、そのK師の談である。

まず本間先生の立螺については、数年前に頂戴したCDと基本的には同じ内容だ。醍醐寺の立螺にして、当山派吹螺師が、法螺貝の神さまの如く崇める本間先生。初めて本間先生の音を聞いた時、何とかソレらしい音を出し、否(!)、チョッとでも近付きたいと思って、必死に法螺貝と格闘したものだ。そして、それは今でも続いているし(大汗)、これからもずっとそうだろう。

ところで二枚目のほうだが、その吹奏にあっては、現在活動中の行者の手になることは、今述べたとおり。K師のお話では、『名人とか何とかの形容詞は修験立螺には無用で、それは祈りの具現化であるべきだし、山中にあって実際の便に供するための作法でなければ意味がない』とのことだった。まったく同感だ。

その本間先生であるが、醍醐伝法学院一期生として卒業され、吉野/龍泉寺の執事として長く勤務される期間に、全国から参集した有名無名の行者師との交流をもった。昭和初期の話である。その時に収集整理した各種の立螺は、やがて音符化して発表されることになる。『立螺秘巻』の誕生である。

この立螺秘巻はその後70年近くになるが、立螺師を志す人の宗派を超えて、まさにバイブルとしての不動の位置を確立する。

至心に祈る行者の立てる法螺貝の音は、参詣の人の魂を打つ。その祈りが必死であればあるほど、神仏の獅子吼とは一体如何なるものか、その人は自ずと知ることになる。