蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

仁王経法~伝授@久米寺~

今週木曜日(4/14(木))は久米寺に出向いた。
 
前日の夕刻終業後、職場から東京駅に直行。新幹線、近鉄線を乗り継ぎ、橿原神宮前のいつものホテルへ。時刻はすでに午後10時半近くになっていた。
 
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この仁王経法は、本来は御修法に準ずる大法として修行されるものだ。弘法大師が唐から帰朝後、鎮護国家の祈りをもって高雄山神護寺で初めて修行されたもので、これを知らない真言僧はいない。当時の記録によると、導師:弘法大師護摩壇:実恵大徳、十二天壇:真済大徳、聖天壇:真雅大徳とあるそうで、大阿KY僧正をして是非ともそば近くで随喜してみたいものだとのことだが、それは加持祈祷を志す誰もが、その時代に生きて同じくそうさせて頂きたいものだ、と強く感じることだろう。
 
私の新客時代、遷化されたFZ大僧正が『希望する人には仁王経護摩を伝授します。やりがいのある修行ですよ』と言われたことがあり、『よーし、必ずいつかは…』と心中に誓ったものだったし、その時のことは今でもハッキリ覚えている。
 
その後、本山で修行される五大力尊仁王会法要に出仕させて頂く機会を得て、FZ大僧正の仁王経法に対する深い思いを改めて知って、『きっといつかは…』とう思いは益々深くなり、とうとうこの伝授の末席に連なるという、誠に貴重な法縁を得たのだった。
 
実は、この仁王経法と護摩法については、さらに遡ること20年ほど前、ある真言僧の方にご縁を得て、やはり眼の前で仁王経法護摩に随喜していたことがあった。その時は何が何やら、正直さっぱり分からなかったが、今振り返ってみると、一つのことにご縁を得るとはとても不思議なものであるということ。そして、改めてその一事を強く思い続けることで、やがてそれは一つの形となって現れるという大事がそこにあるのではないか、と思う。
 
奇しくも東日本大震災の災禍から一カ月して、仁王経法と護摩の伝授と相成った。もともと前から日程は決まっていたものだったとは言え、そのタイミングを考えれば、そこに一つの仏意が働いていたと感じる。
 
KY僧正が、鎮護国家の修法を、自坊で修行できるよう再編成されたこと自体、今回の国難にあって神仏が配慮された結果なのだろう。
 
伝授の冒頭、東北関東大震災物故者霊位を弔うべく、そして、今なお地震津波放射能という三重苦に喘ぐ被災地と、大勢の被災者の方々の一刻も早い復興を念じて、受者一同が仁王護国般若波羅蜜多経を読誦。KY僧正を導師として、まさに『臨時の仁王会顕立法要』を修行した。
 
読経の途中、周囲の受者の声が何度も途切れていることに気付いた。実は私自身、しばらくして声が何度も詰まってしまい、涙が止まらなくなっていたのだ。
 
そう、私だけでなく、受者の多くが泣いていた。読経しながら僧侶が泣くなど、本来あり得ないことだろうが、とりわけ東北や関東から参加した人にとって、今回の被災にあって目にした幾つかの悲惨が脳裏をよぎっていたことは、きっとあったのだろうと思う。
 
そして、回向を捧げた御霊が喜んで安らかにお浄土に旅支度する手伝いがこの読経を通じて出来たとしたら、これほど喜ばしいことはない。
 
臨時の仁王会が終わって、講壇に立たれたKY僧正もその第一声が涙声で震えていた。このことは、今回の伝授がいかに大切なものであったか、受者一同に強く印象づけるものだったのである。
 
ともあれ、今回の伝授を受け、出来るだけ早く自行用の私記版を作成して修法することを誓った。
 
密教を拝む者に何ができるか。それは密法を拝むこと。密教の祈りを重ねていくこと』
 
大阿さまの教えを忘れることなく、一刻も早くこの仁王経法の祈りを自坊にて展開したいと思う。
 
『南無遍照金剛』
合掌