成田山のお炊き上げ
新聞報道によれば、今般、成田山として被災地復興への支援事業の一助とすべく、そして陸前高田の被災状況を宗内の誰よりも知る住職/小林信雄僧正からの懇請もあり、陸前高田の護摩木の引き受けが決定した由。本年9月25日の成田山新勝寺境内における『お炊き上げ』を通じてご供養される運びとなる筈だった…。
私は、内部被ばくの問題を蔑ろにするものではない。広島で祖母や叔母らが内部被ばくした話は、先のブログで紹介したとおりである。(そこでは書かなかったが、同行していた父も内部被ばくした一人であり、私はその血を継いでいるが、お陰さまで毎年の健康診断はA評価である)
陸前高田の松の木の表皮から検出された1130ベクレル/1kg当りは、人が吸い込んでも問題ない値だと、もうひとつの被爆地/長崎の先生が述べていることを知った(大津留(おおつる)晶・長崎大学病院准教授)。
私は正直なところ、成田山に向かっているという抗議のそれは過度な抗議だと感じており、率直に疑問を呈したい気持ちで一杯だ。
私の身内は、今から66年前の8月に現実に広島市内で内部被ばくした。而して、父も叔母も今を生きている。祖母は天寿を全うした。焼き場で骨を拾ったが、言われるような『さらさらの粉状』などにはなっていなかった。(*)
(*)本当に恐ろしい光景は、チェルノブイリ原発の内部被ばくのそれであることはよく知っているつもりだ。但し、陸前高田のレベルとは違いすぎることを冷静に知るべきだと思います。皆さんは、ウクライナ出身のパンドゥーラ演奏家/ナターシャ・グジーさんをご存知ですか。宮崎アニメ『千と千尋』の主題歌『いつも何度でも』をご存知ですか。ウクライナで被災された彼女こそが、内部被ばくの本当をよくご存知ではないでしょうか。
ここは発想を変え、寧ろ、被災地の護摩木はお寺の側から放射線測定を積極的に行い、測定値を公表していけるような仕組みを作るべきではないかと思う。それによって深刻な風評被害を防ぐ先駆けができれば、社会的に極めて意味のある行動になるからだ。
願意が浄書された被災地の護摩木を用いて『お炊き上げ』、即ち『柴灯護摩供』を厳修することは(**)、東北や関東(茨城、千葉)の人々を勇気付けるだけでなく、愛するものすべてを失って悲嘆にくれる人を、その心を、しっかり抱きしめるチカラがあると信じている。自分たちは、聖宝理源大師と神変大菩薩の心をそういう方法で表にして、被災地復興支援の狼煙を上げるべきではなかろうか。
(**)報道番組でその願意をチラッと見たが、『先に逝かせてごめんな』とか、もはや悲痛な“叫び”である。お寺で用意する『四字熟語の整然としたそれ』ではなかった。宗教者の行動/祈りなのだ…。たとえそれが微力であったとしても、とても大切なのだと思っている。
【ご詠歌】
『南無大日大聖不動明王』
『南無遍照金剛』
『南無聖宝尊師』
『南無神変大菩薩』
『南無興教大師』
合掌