海ゆかば~父の述懐 東京大空襲
実はこの『海ゆかば』をアップするにあたって、ずっと逡巡の思いがあった。
父は老いた。おそらくお迎えの日もそう遠くないかも知れない。それゆえ勇気を奮ってアップします。
この曲はご存知かも知れないが、長くタブーとされた。この曲をもって戦地に赴いた若者が大勢おり、それゆえ軍国主義の亡霊を呼ぶものとして、忌避されてきました。
先般、父から昭和20年3月10日の東京大空襲の話を改めて聞く機会がありました。父は当時、本所中学の2年生でしたが、10日の夜半から未明にかけて実施された東京大空襲から間一髪逃れた生存者の一人なのです。
『翌朝、学校に、とにかく行った。そしたらクラスの3分の2は登校せず、行方不明のままだった。』
『担任の先生から朝礼の開口一番、皆で“海ゆかば”を唄おう、仲間のために…』
皆さま、あとは推して知るべし――、であります。父はこの話をした時、大粒の涙をこぼして絶句しました。そんな姿は、今まで見たこともありませんでした。
父も老境に入り、涙もろくなった…、否、そんな簡単な単純なものではありません。
この曲を歌うことで、大空襲の爆撃で死んだクラスメートを、本所中学のクラスメートとともに弔ったのです。
どうか、そういう事実のあったことを、色眼鏡をかけずにありのまま知っておいて頂きたい――、そう願います。