蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

今年の目標~その2~

どこのコースを取るか。実は、今回の『入峯修行』(仮称)の大テーマである。

そもそも(自分自身のしていた)スポーツ登山とは一線を画するもの。どこを、いつ、どう駈けるか。これを疎かにしては、奈良時代の大先達/良弁(ろうべん)菩薩に申し訳が立たないし、江戸期に山駈けされた先師方にも申し訳が立たない。当たり前だが、楽しさの追求ではダメだ。

峯入りする以上、行場ごとに神仏の祈りを捧げなくてはならない。だが…、残念なことに明治政府の神仏分離令の以降、峯入りの作法自体のほとんどが壊滅状態にあり、それは当地だけの問題ではない。古老と呼ばれる方々が、すでに鬼籍に入っておられる時代。独自の作法伝承に到っては、ついぞ知る人などいないだろう。

極論するならば、大峯山/七十五の靡(なびき)にあるような行場体験を同じように思うならば、先ずはその山を、単なる名山としてではなく『霊山』として見詰めなおす作業が必要になるはずだ。

その山独自のものは、従い、平成の修験者自らが再編成するくらいの気概が要ると思う。霊山となれば、そこには一定の儀礼性が伴う行動が必要になるからだ。

たとえそれが稚拙であろうとも、後に続く修験者の熱誠が、必ず整備を完遂することを信じて、先ずは再興の第一歩として、その足を踏み出すべきだろう。

その小さな積み重ねは、神仏がきっと照覧され給う―――。そう信じて黙然として山駈けする。これが修験道の信仰実践ではないか、とさえ思っているところだ。