蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

怨親平等

13日(日)の夕刻、北京オリンピック聖火リレーの通過地点、長野・善光寺において、チベット騒乱によって犠牲となったチベット人、中国人両者の追悼法要があった。

そぼ降る雨の中、境内を揺らすローソクの炎。万灯によって荘厳された法界を、僧侶が人々を引導して読経したとの報道があった。

高野山には『怨親平等の碑』というものが建立されている。太閤秀吉の朝鮮出兵にあって、日本兵だけでなく、出兵した先の朝鮮兵の菩提を同時に弔った碑である。

この碑の精神に、『反戦平和』のメッセージを読むことは無論であるが、『全ての暴力を停止する』という、仏陀釈尊以来の強いメッセージのあることも、よく記憶しておきたいと思う。

今回の騒乱にあって、恐らくだが、心ある僧侶の多くが『一体、どういうメッセージを発信したら良いものか』、内心忸怩たる思いで見詰めていたと想像する。

この世界には、『三国伝来の…』という言葉があるが、その三国には中国が含まれており、政治的・社会的な影響を考慮することを、好むと好まざるとに係わらず、一人一人が強く迫られた。

一方で、個人の良心という一点では、まさに『心の叫び』を開陳された台密の大徳がおられたことは、本当に素晴らしいと、率直に感じたものだ。その大徳に対しては、本当に敬服の気持ちで一杯である。

善光寺の報道を聞いた時、『そうか、これなんだな』と改めて思ったところだ。そう、私たちは、一方では『言葉を弄する』ことをすべきではないのである。言うまでもなく、『真実の言葉』を護持してきたではないか…。

『真実の言葉』を発して『祈る』ことは、その行為そのものが、静かであっても、深くて強い『非暴力』のメッセージに繋がることを、善光寺の法要は示していると思う。『わが身に引き比べて、人をして殺してはならない』との金言を、徳薄く才拙い後進であるかもしれないが、決して具現化する手立てがないわけでないことを、この法要は示している。