蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

怨みを去る ~その意味するところ~

北京オリンピックに向かう聖火リレーだが、イスタンブールを経て4月6日にロンドン、7日にパリに至り、8日にサンフランシスコに到着した。

恐らく、これからもっと『盛り上がる』のだろう。否、もっと『燃え盛る』ことになるに違いない。日本人には想像し難いかもしれないが、『人権』が無残に踏んづけられた―――、しかも踏んづけて、なお高圧的に見下ろすことを正当化し続ける傲慢な国家指導者たちがいる―――。

欧米社会では、そう受け止められた。このような場合、もう誰にも止められない。かの地では外に出て、ブーイングをしつつ抗議の旗を振って、激しく抗議活動をするのが『常識』となる。踏んづけている足をどかすため、『反撃すべし』になる。

忘れてはいけないのだ。彼ら『も』、革命を通じて、民主主義を(流血して)勝ち取った。この歴史的事実に対する(私たち日本人が信じられないくらいの)高いプライド。否、『意地』と言っていい。だから『踏みにじられた』と感じた瞬間、まさに、怒り狂って荒れる。(無論、その是非は別だ)

9日のサンフランシスコは、先にチベットを表敬訪問し、中国政府の人権弾圧に抗議して、北京オリンピックのボイコット決議を決裁した、米国下院議長/ナンシー・ペロシの地元だ。

もう数時間すれば、米国西岸は9日の夜明けを迎える。どんな抗議行動が待ち構えているか、かなり緊迫のシーンがあるに違いない。カリフォルニア州知事/アーノルド・シュワルツネッガーも『抗議する権利を有する』と発言している。金門橋では、既に抗議の横断幕だ。大荒れになるだろう。

ところで米国西岸カリフォルニア州には、70年代にチベット動乱で祖国を追われ、多くのチベット僧侶の亡命先としての活動拠点がある。彼らが説いたチベット仏教の高度な教義が、所謂『ニューエイジ思想』に代表される、米国西岸発の新宗教に多大な影響を与えた。

泥沼化したベトナム戦争に深く傷つき、帰還兵に対する社会的偏見の苦海を喘ぐようにして生きた、70年代の米国人の若者。キリスト教合理主義に代わり、東洋世界/チベットに伝法された大乗仏教/タントラ仏教の教えに救いを求めたことは、例えば今なら、俳優のリチャード・ギアを通して垣間見ることは可能だ。彼もまた、その年代なのである。

このブログでも取り上げたが、米国人思想家/ケン・ウイルバーも、このニューエイジ思想を学び、そして批判して離脱し、トランスパーソナル心理学の領野を切り開いた。米国西岸は、自由を求めて亡命したアジア系米国人の多く住む(全体の約20%)民主主義の土地であり、まさに『homeland for American dream』そのもの(⇒米国の魂)なのである。

ともあれ、好むと好まざるとに係わらず、今眼前で展開していることが、世界の現実である。私たちは目を逸らさず、よく見ておいた方が良い。

『アヒンサー(不殺生』とか『非暴力』は、こういう厳しい現実を目前にした人から、渾身の説法として出てきたものであることを、今一度よく噛み締めるべきだと、つくづく思う。かの釈尊にしても『怨みを去る』という金言を、ご自身の出身部族/釈迦族が殲滅された悲劇を目前した後、復讐の有無を問うた弟子に言われたのだ。

木の株に座り込みをして抗議する釈尊。三度目の座り込みをされている横を、轟音を立てて通り抜ける、国王パセーナディ率いるコーサラ軍の進撃。その先に、ジェノサイド(民族殲滅)は起きた。単なる『奇麗事』ではナイ。

そういう意味で、14世ダライラマ法王が、どうして宗教指導者として世界規模の尊敬を受けるのか、同じく仏教を奉じる私たちは、繰り返すが、じっと見詰めなくてはいけないと思う。

分裂主義者(?!)と言って、無慙に貶めるようなプロパガンダ。それをやればやるほど、まったく相手にされないどころか、心ある人たちの反発を招いてしまっている現実を、私は冷やかに見詰めつつ、そしてその傲慢さに対しては、内に憤りの憤怒の焔でたぎってしまった自分を、正直に否定しない。

そもそも宗教とは、国家原理を超越した『最上位概念』である―――、それを証明する情景が、今この瞬間、私たちの目前に展開し、それは海外メディアによって(容赦なしで)発信されるのだ。

『仏教は決して日和見の教えではない。厳しい批判精神を内に秘めた教えである』(前・智積院化主/宮坂宥勝師)