神道護摩
『神仏習合の本』(学研/ブックス・エソテリカ)に目を通している。
話には聞いていたが、那谷寺(なたでら)における『神道護摩』修行の写真が掲載されているのを目にして、正直感動した。
那谷寺は白山信仰の中心寺院となるところであるが、神仏習合信仰が弾圧された明治期には、かなりの打撃を、当時の他の密教寺院同様、受けていたに違いないのだろう。
このお寺は、今は高野山の末寺(別格本山)になるのだが、多くの保守的な(?!)高野山寺院の中にあって、よくも神道護摩を復興されたものと、とても嬉しい気持ちがする。
考えてみれば、江戸元禄期の高野山/日光院英仙師によって、真言神道の『御流神道』が中興されているわけだから、こうやって高野山のお寺が神道護摩を修行することは、とても自然な流れなのだ。
その本では『癒しの修行として…』というコメントがあり、純白の法衣をまとって祈願内容を確認している様子の大徳の後方に、老婦人が静かに座っている。
美しい風景だな、素直にそう思った。
話には聞いていたが、那谷寺(なたでら)における『神道護摩』修行の写真が掲載されているのを目にして、正直感動した。
那谷寺は白山信仰の中心寺院となるところであるが、神仏習合信仰が弾圧された明治期には、かなりの打撃を、当時の他の密教寺院同様、受けていたに違いないのだろう。
このお寺は、今は高野山の末寺(別格本山)になるのだが、多くの保守的な(?!)高野山寺院の中にあって、よくも神道護摩を復興されたものと、とても嬉しい気持ちがする。
考えてみれば、江戸元禄期の高野山/日光院英仙師によって、真言神道の『御流神道』が中興されているわけだから、こうやって高野山のお寺が神道護摩を修行することは、とても自然な流れなのだ。
その本では『癒しの修行として…』というコメントがあり、純白の法衣をまとって祈願内容を確認している様子の大徳の後方に、老婦人が静かに座っている。
美しい風景だな、素直にそう思った。