蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

三宝荒神/供養法と祓い

今日は久し振りに法衣に着替え、三宝荒神尊を拝んだ。

怪我した足もだいぶ癒えて、ある程度まで座れるようになった。こうなってみて改めて思ったことは、自分の足元をシッカリ見詰めること。そのためには、先を急ぐようなことばかりをしては、(やっぱり)ダメなのだ。

今までは、先を急ぐことが悪循環となって、あれもこれもと欲張った内容になっていたのではないか…。あれもこれもになれば、今度は急ぎ足で用足しすることが当たり前になってしまい、物事に対するメリハリがメチャクチャになるの当然。周囲だって傷付ける/傷付けたに違いないのだ。ただただ、反省するばかりだ。

ところで、今日拝んだ三宝荒神の祈りは、一には供養法であり、一には祓いの秘法である。特に『障碍を祓う⇒障害打破』を強く念じたいような場合、道場の清掃をよくしてから、荒魂の総体(慈雲尊者)にご供養して、力をお貸し頂くとよい。

以前、そのような状況下で拝んだことが数回あり、翌日出社して唖然とするような変化さえあった。詳細は、プライバシーのこともあり、ここでは秘することにする。ただ言えることは、その人に反省すべきことがあるとき、その人は今までのあり方を真っ向否定されるような、そういう目に遭遇して、自分自身の生活全般を見直すような環境に置かれるということである。

それで話しを戻すが、『略法だからこその真価』とは、こうやって歩くスピードを遅くすることを余儀なくされてみて、初めて理解できるようになったとすれば、『神仏の諭し』以外の何ものでもない。

周囲を祓うことばかり思うのではなく、自心に巣食う煩悩の穢れ。それこそ、三宝荒神尊の祓いの大威力として捉えるべきだ―――。そんなことを、しみじみと考えさせられた一座となった。