関東三十六不動霊場巡拝記~発心編④~【第三番札所/横浜成田山】
★ 第三番 成田山横浜別院 野毛山不動尊
【ご本尊】 不動明王
【三十六童子】 不動恵童子
【ご詠歌】
○ ありがたや 成田のみ山に 参る身は 護摩の煙りに あうぞ嬉しき
【開山】
● 明治三年(1870)
● 原口照輪上人
【巡拝記】
横浜に成田山の別院があることを意外に感じつつ、ともあれ大山とか小田原とかから、一気に横浜に場所が移り、少し近くなってホッとしたことを覚えている。
このお寺は桜木町の駅から歩いて、野毛山という丘の坂道を上がっていく。お寺全体が崖に寄り添うような感じで建てられているため、階段で上り下りする境内という感じだ。本堂は、まさに『崖の上』にある。
土曜日の午後、その階段を上がって本堂に着いた。外陣には、ご詠歌奉納のご婦人グループがおられて、切々として詠唱されていた。多分ご信徒なのだと思う。しばらくすると、成田山のお寺らしくと言うべきか、護摩供修行が執行された。
成田山のお寺と言えば、東京別院/深川不動尊にお参りすることが多くあったので、お経は馴染みの深いものばかり。一緒に唱和させて頂いた。法楽太鼓の軽快で荘厳な音色を全身で感じながら、これから先の巡礼が無事満願できますようにと、一心に祈った。
成田山のお寺ついで言うと、実は成田山のお寺は想像以上にと言うべきか、多くの天部の神々をお祀りしていたりする。この延命院も例外ではない。さらには、水行場まである。
この理由等について、これから先で、私見を交えて説明したいと思っている。醍醐山の実践である『三憲』とは、実はその裏面に、当山派修験道信仰の実践を併置させているものなのである。
因みにこのお寺の本尊さまは、ガイドブックによれば、『聖宝理源大師の御作』とある。元禄年間(1688~1703)、成田山中興開祖・照範上人が徳川家より『祈祷本尊』として賜ったとのことであるが、成田山と醍醐山は、実はとても深い関係をもっていることもご紹介したい点だ。
とりわけ元禄年間は、醍醐山の、江戸期における活動の最盛期であった。それから200年くらい後になる明治時代、醍醐山は『事相本山』と称されるようになる。
ともあれ、少し話が前後した。『この理由』―――、要は『そういうこと』なのである。
【data】
* 真言宗智山派 成田山横浜別院 延命院
* 神奈川県横浜市西区宮崎町30
* http://www.nogeyama-naritasan.jp/
合掌
【ご本尊】 不動明王
【三十六童子】 不動恵童子
【ご詠歌】
○ ありがたや 成田のみ山に 参る身は 護摩の煙りに あうぞ嬉しき
【開山】
● 明治三年(1870)
● 原口照輪上人
【巡拝記】
横浜に成田山の別院があることを意外に感じつつ、ともあれ大山とか小田原とかから、一気に横浜に場所が移り、少し近くなってホッとしたことを覚えている。
このお寺は桜木町の駅から歩いて、野毛山という丘の坂道を上がっていく。お寺全体が崖に寄り添うような感じで建てられているため、階段で上り下りする境内という感じだ。本堂は、まさに『崖の上』にある。
土曜日の午後、その階段を上がって本堂に着いた。外陣には、ご詠歌奉納のご婦人グループがおられて、切々として詠唱されていた。多分ご信徒なのだと思う。しばらくすると、成田山のお寺らしくと言うべきか、護摩供修行が執行された。
成田山のお寺と言えば、東京別院/深川不動尊にお参りすることが多くあったので、お経は馴染みの深いものばかり。一緒に唱和させて頂いた。法楽太鼓の軽快で荘厳な音色を全身で感じながら、これから先の巡礼が無事満願できますようにと、一心に祈った。
成田山のお寺ついで言うと、実は成田山のお寺は想像以上にと言うべきか、多くの天部の神々をお祀りしていたりする。この延命院も例外ではない。さらには、水行場まである。
この理由等について、これから先で、私見を交えて説明したいと思っている。醍醐山の実践である『三憲』とは、実はその裏面に、当山派修験道信仰の実践を併置させているものなのである。
因みにこのお寺の本尊さまは、ガイドブックによれば、『聖宝理源大師の御作』とある。元禄年間(1688~1703)、成田山中興開祖・照範上人が徳川家より『祈祷本尊』として賜ったとのことであるが、成田山と醍醐山は、実はとても深い関係をもっていることもご紹介したい点だ。
とりわけ元禄年間は、醍醐山の、江戸期における活動の最盛期であった。それから200年くらい後になる明治時代、醍醐山は『事相本山』と称されるようになる。
ともあれ、少し話が前後した。『この理由』―――、要は『そういうこと』なのである。
【data】
* 真言宗智山派 成田山横浜別院 延命院
* 神奈川県横浜市西区宮崎町30
* http://www.nogeyama-naritasan.jp/
合掌