蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

深砂法~“怖いこと”の意味~

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深砂法を拝んだ翌日は、家内の実家へ向かった。それなりに元気そうで、ホッとした。お寿司を取ってくれていたので、それをつまみながら、アレコレと話をした。

やはり、人は人と会うことが大切だ。そうしないと、言葉を忘れてしまう。大聖釈尊が『老いる苦しみ』を四苦の中に入れておられること。それを今さら感じてしまうような瞬間が(正直なところ)数回あった。せめてその時だけでも、若かりし日を思い出して笑顔でいられるよう、そう思って一生懸命に話をする自分がいた。

今日は蛇瀧へ副住のYさんと向かった。蛇瀧は思いのほか暖かく、とても心地よかった。Yさんには、帰りがけに少しだけ我が家に立ち寄ってもらった。

『掃除9割、水行1割』というYさんの話は、『なるほどその通りだな』と感じることが多くあった。実際、それくらい殊勝な心がけですることについて、この行場(の本当の怖さ)を知る人ならばきっと共感されることだろう。

ところで深砂法では、前にも記したことだが、『色々と怖いこと』を聞かされている。無論、滅多やたらに怖がることは却って有害であるが、『実践に当たって謙虚であること』は、理源大師の“実修実証”の精神をかみ締めることに繋がるに違いない。

深砂大王は、ともすれば慢心しがちな私(たち)を叱咤激励される“霊神”なのである。行者が畏怖のこころを忘れたらおしまいなのだ。

合掌