蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

ゼブラーマン~白黒つけてやる!~

今日は、意外な映画を観に行った。『ゼブラーマン』だ。
 
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この映画を観ての感想だが、『こんな感想もある』ということで、どうかご容赦ください。
 
もともと『哀川翔』という俳優さんのことは知っていた。実際、この私と同い年だ。一世風靡セピアのメンバーで、そうこうしているうちにヤクザ映画の菅原文太の次世代の代表格みたいな人になっていた。そして、凄い苦労人であることも…。実際、映画やテレビの仕事で、どんな役柄も引き受けてきたという凄い根性の人だと、この間知りました。普通、イメージが壊れるからとか言って、チョッとばかり売れてくると、すぐに選り好みする人が多いというではないか。
 
ある日、オーラの泉に出演した姿と受け答えを見ていて、パッと見て、何かこう感じるものがあったのだ。番組が進行するうち、『哀川さんの前世って行者さんですよ。それもお不動さんを拝んでいたんですね』みたいな話が江原さんからあり、哀川さんが、『初出演したVシネマで演じたヤクザの、その背中の彫り物が不動明王だった』ことを懐かしそうに述懐していたことが、やけに印象に残っていたのである。
 
しかもこの哀川さんという人、御親戚の寄進された寺を修復することを手伝われたようだ。番組では確か、真言宗の寺だったと言われたような気がする。
 
さて――-、この映画には、『白黒つけてやる!』という決め台詞が出てくるのだが、ゼブラーマンの善と悪、白と黒、男と女の二体の分離した姿を通じて、ストーリーは展開していく。
 
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その中で白黒二人のゼブラが語った、とても印象に残る、もう一つ二つのセリフがある。
 
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白ゼブラ 『なんで死なないか教えてやる。お前が生きているからだ。お前が生きている限り、オレは死なない。』
 
黒ゼブラ 『オレは(忌々しい)お前が大嫌いなんだ。』
 
白ゼブラ 『お前にまだ涙が残っているうちは、合体できる。』 (→ここで布団を敷いて枕を二つ並べたのを見て笑ってしまった。妖艶な黒ゼブラクイーンの前でやったギャグとしては、まさに親父ギャグの至宝だろう!)
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そして…、最後のシーンで、
 
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ゼブラーマン 『白黒つかねえから、ま~るく収めたぜ』 (→このシーンは本当にギャグであるからして、結構笑える)
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おそらく――-、この白黒、善悪の二極を見て、そして、官能的な黒ゼブラの妖艶な肢体に目を奪われことがままあるがゆえに、却って若い日本人の深い感性には、『白も黒もねえ~』と叫んだ(ココリコの)田中直樹扮する市場純市の短い言葉がそこに反射するような感じがあり、心の琴線に妙に引っ掛かったのではないか。
 
ところで…、白ゼブラが黒ゼブラに向かって発した『涙』という言葉があった。私は、その時一瞬このように読み替えて心の中で繰り返した。
 
● 白ゼブラ 『お前にまだ涙が残っているなら、否、お前には涙がある、絶対に。だから…』
 
この“涙”こそ、前世で不動尊を拝んだ行者ならばこそのセリフだと直感する。きっと、そうに違いない。即ち、『菩提心』として読み替えれば、真言宗の寺を修復のためにする援助もスッと繋がるからだ。
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涙を流すとは、菩提心という真心のある者にのみ許されるもの。言い換えれば、涙腺という身体機能のあればこそ、人は菩提心をもたざるを得ないはずである。
 
般若理趣経で説く『大欲』とは、善も悪も、白も黒も、遥かに乗り越えた先にある至高の境地であって、真言行者たる者、そこを目指して歩まなくてはならない。弘法大師は、ことのほか菩提心の在ることを尊び、そして確信されて、後進に菩提心に基づく真言密教の道を説いた。
 
★ 弘法大師の確信とは、『如来蔵』と呼ばれる自性清浄菩提心に対する絶対的な確信である。
 
どんな人にも、そしてどんなモノにさえ、自性清浄心の種があり、それは即ちホトケであり、だから、それを尊んで相まみえて合掌するのである。
 
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般若理趣経では、白も黒も、善も悪も、二項対立を超えた絶対的な統合の境地を指して『清浄』と呼び、個が全体であり、全体に個の在ることを説いて、その相違に拘ることで起きる迷いの世界を戒めるのである。それこそが、曼荼羅の宇宙に向かう大切な道標となるのだ。
 
ゼブラーマンの一見すると“荒唐無稽のストーリー”には、実は現代社会が自ら作ってしまった深い落とし穴の描かれていることを見落としてはならない。そこを『ま~るく収めたぜ』とは、『円く円く、満足せしめた』ということだろう。『円満成就』だ。
 
哀川さん、やっぱり行者さんだネ。これからも一層のご活躍を(ご精進を?!)お祈りします。そして、黒ゼブラクイーンを演じられた仲里依紗さん、凄く恰好良かったです。
 
合掌