海老蔵という重み
先だって西麻布の酒場で暴力を振るわれた彼氏。頬骨を骨折したことで、市川家相伝の『睨み』を一年くらい封印せざるを得ないようである。因みに頬骨ではなく、眼球を支える窟骨を折っていたら、生涯ダメだったそうである。顔の動きに関係する筋肉が断裂してしまうからとのことだ。
この睨みという芸は、因みに『これを拝むと風邪をひかない』という話を、かつて耳にしたことがある。要するに『身体健全』の祈りを、彼は生まれ変わった現世でやっているのだ。尤もそういう祈りを舞台の上で意識しているかどうかは、ご本人に尋ねない限り不明である。
その行者にいくら験力があったとしても、持戒を軽蔑する人であれば、世間がそれを受け入れることは決してない。健全な一般常識ということを離れて、いくら“チカラ”を誇示したところで、極めて冷淡である。一時の気休めを喜ぶほど、浮世は単純ではない。
聞けば、酒場で己を『国宝!』と大言していたことが数回あると言うが、本当なのか。
『仏の顔も三度』と言うが、恐らくこれが本当の三度目になると直感した。かく言う私も、不動尊を仰ぎ見る行者の末徒だからである。
海老蔵さん、『不動行者』とは、そもそもそういう生き方を自らに課した人間ではなかったのか(?)。自分の心の奥に潜む『弱さ』を、逃げることなく真正面から見詰めることではなかったのか(?)。
自分がこけることで、自分ではないのだよ、自分に期待を寄せてくれる人たちの顔に泥を塗り、落胆させること…。これこそを畏れなくてはならぬ。