清盛~2012年NHK大河ドラマ~
● 「鮮やかさがなく、薄汚れた画面ではチャンネルを回す気にはならないというのが第一印象」
このように“薄汚く、且つ、見る気もしない”映像表現は、およそ40年前に放映された『新平家物語』とは明らかに違う。リアリティーがあると言うより、平安時代は公家の社会だから停滞/停止していた時代、ただただ華美な社会、というステレオタイプの概念を覆すしてくれるような気がした。
藤原摂家を演じている役者さんの顔を見ると、眉を剃り、白粉を塗り、お歯黒をして、とても“気持ち悪い”。濃厚なフェミニン臭みたいなもの、ある人は男色のフェロモン臭とか言うかも知れないが、そういうおどろおどろしいものが大河ドラマで取り上げられたことを喜んでいる。
なぜならば、こういう時代背景の水面下で、源氏物語でも頻繁に取り上げられる密教修法が、まさに色々な意味で鍛えられたと感じているからである。貴顕社会の、それも極めて私的な(自己中心的なエネルギーに満ちた)祈願を、仏道大願の一つとして受け入れ、(敢えて)請け負いつつ、堂塔伽藍を維持する基盤固めとされた先師の強かさを理解しないと、どうしてそこまで修法の口伝かは見えてこないような気がする。
『そんなことじゃ、観光客が来ません』―――。
まあ、そう言わずに…。これからの展開を楽しみにしたいと思っています。当時の武士とは『犬畜生』と蔑まれ、番組でも触れていたが、『血で手を汚すような汚い仕事』を一切合財請け負っていた集団なのだ。そこをフォーカスしているのに、上っ面の事なかれでは、やっぱりダメだと思う。
清盛の継父/平忠盛が初めて昇殿した時の様子は、そういう背景を知らないと『あっ、そうなんだ、ふう~ん』で終るだろう。おそらく平氏一門の感激は非常に大きかったと思うし、それゆえに、貴顕社会だけでなく源氏一族からも猛烈な嫉妬も受けたことは想像に難くない。
時代を変える人(⇒リーダー)とは、このような猛烈なエネルギー感の中で登場してくるのだろう。