蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

千手法~桜の季節~

千手観音法。何となしにだが、“ホッとしながら”拝んだ。
 
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この行法でいつも思いだすことは、師僧のお寺で拝んだ日、そこで転んで足を骨折したことだ。振り返って思うことは、『それでもお前はやるつもりか?』の覚悟を問われたとも言えるし、『己が慢心を厳しく戒められた』とも言えるだろう。
 
『自らを試される瞬間』――。その時、誠心、或いは真心、そういう澄み切った心境に思いを馳せることができるよう、(強引に)まさに必死になれるか否かで、その後の行き先は決まってしまうのだと、今さらながらしみじみ思っている。その反対をすれば、つまり“楽な方向に流れれば”、今の行者としての自分はこの世に存在していないと思う。
 
『己が心の有りようを見詰めること』――。『但し、衆生心想の中に住し給う…(仏説聖不動経)』、即ち、どこか遠い処に神仏を求めるのではなく、お大師さまが言われた、『自分の心の中にその聖なる存在はひっそりと住しておられる』との教えを堅く信じるのである。
 
そうやって考えるようにすれば、『誰か他の人のせいではない』ことだけはハッキリするだろう。
 
『南無千手千眼観世音菩薩』
合掌