東京オリンピック 2020
言葉とは時に恐ろしい。猪瀬知事がニューヨークでのインタビューで“雑談中”に喋った内容『イスラムの国は喧嘩ばかりしている』が、一人歩きを始めた。
すでにトルコ国内のインターネット上では、『日本のオリンピックはこれでおしまい』という書き込みが相次いでいるらしい。
“東京オリンピック2020”を内心期待していた自分にとって、これは非常に残念な事態だ。
仮に百歩譲って、猪瀬知事が言うよう『真意でない』としても、国際社会におけるやり取りは非常に注意の要ることを、改めて肝に銘じるべき事例だと思う。人によっては『脇が甘い』から、『隙をつかれた』と言うかもしれない。
要は、本気でオリンピックを招致する気のあることを示すべき局面なのだ。
もしここで『誤解なのだから…』と、何も行動しないつもりならば、私は『2020年の東京オリンピックはもともと無かった話』にするつもりだ。
日本人はこういう事態に陥った時、誤解を与えた先に出向いて頭を下げることをいとわない潔さをもつ国民なのではないだろうか。
もしかしたら恥ずかしい姿を晒すように人々の目には映るかもしれない。だが、本気でオリンピック招致を願うのものなら、人々はそれを容易に理解しよう。
まさに正念場そのものだ。