蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

行的世界

空海の本』(学研/ブックス・エソテリカ)を購入して、早速読み始めました。私は『密教の本』以来、『学研/ブックス・エソテリカ』シリーズのファンでございます。
読み始めたばかりですが、今のところ『歴史の教科書 ⇒ 偉人の話だな~』(笑)という感想が無きにしも非ずかな…、というところです。

ともかく興味深く読んだところは、
目下のところ出生地とされる讃岐国善通寺付近に代わって、母方の実家/阿刀氏の居住する畿内(摂津/河内周辺)を、新たな場所として提示した点。父方/佐伯一族の地方豪族としては異例の高位と、奈良時代の『妻問婚の風習』に基づいての説は、非常に興味深く読みました。(この稿では、阿刀氏は物部氏の末裔とあり、反射的に“十種神宝”の祝詞を思い浮かべました。石上神社のこの祝詞を唱えたことがある人ならば、真言神道について感じるものがあるかも…。)
遣唐使に私度僧として潜り込んだのではないかとする説を、真っ向から否定した点。(本当は否定して欲しくないけど…(笑))
青龍寺/恵果阿闍梨を導師とする金胎両部灌頂の授法に際して、異常とも言える短期間(面会して三ヵ月後)に受灌/許可が成ったこと。それにまつわる『謎』をムニシリ/般若の両三蔵に親しく授かったサンスクリット学修の高度な習熟度に求めた点。(これに関連して、真言マントラ)の哲学を語る上で極めて重要であると、以前から同様の指摘がありました。真言密教の思想体系樹立に向かう過程からも、見落とせないポイントだと思います。)
空海二度入唐説』を否定して後、『暗闇には魑魅魍魎が見える…云々(※)』の比喩を用いた点(※これには異議あり。(苦笑))。
虚空蔵求持法の修行中に得た神秘体験とは一体何だったのか―――? 『強烈な…』の解明こそが、空海の生涯に渡る活動の原点になったと指摘した点。

竹内先生と武内先生。おなじく『たけうちせんせんい』で同じですが、私は後者の武内先生の記述に親近感をもって読んでおりました。特に上記イ砲弔い討蓮武内先生の指摘こそ重要デス。同じことを竹内先生も触れておられましたが、『謎』を否定せんとしておられる時の筆力が、ココでは意図的に制御されると感じさせる文脈は、ある意味止むを得ないものだと思いますが、これを不満とする人のいることも十分に予想されます。

尤も修行体験のない人ならば、『強烈な…』(武内師)などという修辞は、永久に理解し難いものではないかと思っていますので、そうでない人に奮然として主張することを求めること自体、却って野暮というものではないかと思います。

********************************
(※)上記い砲弔い董『もう少し配慮しましょうヨ…』と感じたところです。
これと直接の関連性はありませんが、その後の稿に『最澄空海の確執』がありました。私はここで述べられた『最澄空海の順番』。このような事柄に(わざわざ)配慮すること自体、殆ど無意味に感じました。『そうではないでしょう…』と。(苦笑)

伝教大師のされた『新来の真言家は筆授を滅ぼす』の記述は、密教学修の本質を間接的にですが、よく伝えるものです。『文は糟粕なり瓦礫なり』という『理趣釈経』貸出し拒絶に際して応答された弘法大師の言葉は、その後に尾ひれが付いて、好事家の題材になったまでであります。それによって伝教大師の名声を左右するものでないことくらい、真言密教信仰の師ならばよく知っております。

実は、私はこの二度入唐説をどなたのお説かを(具体的に)存じております。その論文を拝見した時、密法修行に対する情熱を、その文脈全体に強く感じたのです。従い、『気を使う』おつもりならば、こちらから優先されるべきだと率直に感じました。今なお現役の大徳さまなのでございます。若輩の私たちが教えを請う立場の方でもありますが、世間の風評など意に介することなく(⇒ この箇所については、特別な機会が与えられさえすれば、詳説いたします)、求法の情熱を失わずに活動されるからこその敬意であります。

新春の某火渡り道場にて、実際にお目にかかっている大徳さまゆえ、単に同情的な心情を注いでいるものに過ぎないと、私の感想など、最終的にどのように受け取られても勿論構いませんが、ともあれ、社会人の一般常識としても、このような“魑魅魍魎”なる言葉は戴けません。暗喩として用いたとしたならばですが、『決して愉快ではなかった』とだけ付記したいと存じます。
********************************

弘法大師を語る場合、竹内先生が繰り返した『謎』の部分として貼り付けられた虚像を剥ぎ取り、実像に迫っていく作業の重要性を否定するものではありません。しかしながら、それも程度問題に違いありません。そうでなければ、19世紀の仏教学が釈尊をシニカルリーダーに祭り上げてしまった二の舞を踏むものと考えており、信仰者としては愚の骨頂と懸念して、全面的に賛成することが出来ません。

弘法大師の樹立した真言密教の体系は、実証主義の延長線上で受け止めること自体、おかしな作業ではないかと思います。(⇒ だから“エクソテリカ”(顕教)ではなく、“エソテリカ”(密教)なのだ!)
哲学という『頭の体操』とは、実は秘法を間近にした体験をもつ人ならば、必ず何かしらのインパクトを感じることが出来る性質のものだと確信します。その瞬間、素人vs.プロの如き対立軸は消滅するのです。逆説的ですが、縦横無尽の創造的発想なるもの(=時に狂的なもの)を、哲学は許すフィールドでもある筈です。真言密教は、それを行動哲学として心身を総動員する形で『猛烈に思惟する』側面をもつものだからこそ、前述の『強烈な神秘体験』がキーワードに成り得るのだと思います。重要なことは、その実践それ自体は、全ての人に公平に開かれたものであって、特定の優遇を許さないということであります。

真言密教の思想・実践体系―――。お大師さまなる存在、即ち『カリスマの根源』となる箇所であります。宗教民俗学の故五来先生は、験力=カリスマと云う宗教的生命を、事教二相を基礎構造とする『行的世界』に求めました(五来重著/空海の足跡:角川書店)。

これから『十巻章』を概説されたページに進みますが、個人的には、こちらにも思い切った紙数に割いてもらいたかった…。何故ならば、『思想・実践体系』の入り口だから。
ともあれ、楽しみにして読み進みたいと思います。