蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

諦信の道

かつて私は、先代と先々代の師僧が篤く信仰したという飯綱権現の尊像を目にしたことがある。その容貌は、今あるものとはかなり違うものだ。まさに『怒髪天を突く』という形容詞そのもので、目は激しく吊り上がって、牽索と宝剣を構えた双翼の身体からは、強く激しい憤怒のオーラが噴出しているような『異形』であった。とりわけ、長く護摩本尊として祭祀されていたこともあって、ご眷属の白狐でさえ、ススで真っ黒になっていたから、畏れ多いことだが、もはや『黒狐(?!)』ではないか―――、とにかく、そのような『凄まじいお姿』に変わり果てていた。

長い間、渇仰信徒の祈願を受け止めてこられたのだなと…。その尊像は、目にする者に対して、無言のうちに『抜苦与楽』ということを語りかけるものだったと思って、今でも(しょっちゅう)思い出している。

実に、この世界に入って出会った諸尊の中で、『飯綱権現』は非常に印象深い仏さまだ。本来ならば、ご縁が生じなくて不思議でない仏さまだったろう、率直にそう思うくらいに…。特に武田信玄上杉謙信らの戦国大名が武運長久を祈ったことから分かるように、その利生にあっては、実は呵責なき側面があると思って間違いないが、そもそも、そのような仏さまなどを信心するには、私など絶対に持て余してしまうに違いない―――。ずっとそう思っていた。

現行の飯綱信仰は、多くの人々が知るとおり、不動護摩供を基本とする祈りがメインである。醍醐山/俊源大徳が八千枚護摩供を修行した砌、不動明王の化身として出現された神霊であるから、この祈り方は極めて自然なことだ。尤も、概ねこのような説明に止めておくことの方で、通常の説明として相応しいものになると思っているし、実際にそうだろう。

因みに…、ということで、ココでは普段から思っている私見について、バシバシと(覚悟の上で)表明してみたいと思う。
真言密教、とりわけ『不二而二』(“二而不二”でないことに注意を要す)の思想を基盤とする当山派恵印法の教義では、金剛界大日如来不動尊(⇒胎蔵界大日如来とするのだ)は、金胎不二一乗の妙相を示現するものとして捉えているが、この大事についてだけは、修行者は深甚の注意を払わなくてはいけないと思っている。『修験道の本尊は、実はビルシャナ仏=大日如来なんですよ』は、そうそう簡単に退けてはいけない事柄なのである。

恐らく憲深僧正も確信されたであろう『不二而二』を旨とする醍醐寺出身の俊源大徳が、不動尊を深く祈ったところに飯綱権現が出現されたとすれば、飯綱権現それ自体が、『不二一乗』という修験恵印三昧耶法の『理智不二界会礼賛』の説く宇宙観を示現すべく、神霊の形を取って出現されたとも言えるのではないか…、そんなことを最近強く思うようになっている。更に言えば、遠く聖宝理源大師の感得された理念に連なることを、改めて想起すべきだろうと…。

そもそも『五相合体』として天部尊が集合したものとして解き明かされる表白文の背後には、『五大』、即ち『卒塔婆』=大日如来(アビラウンケン/五字明)という曼荼羅宇宙そのものに連なることも、併せて銘記すべきではないか。この『五大』の観念こそ、俊源大徳が修行した醍醐寺では、『仁王経法』、即ち不動明王を首座とする『五大明王』の祈りとシンクロさせている概念なのである。

一方―――、某明師から頂戴した『飯綱十三大誓願』という作法にご縁を得て後、実際に何度も拝んでみたとき、『それだけではないんだよ』というような感覚だったのだが、フッと脳裏を何か(声?)が掠めたような、そんな感覚をもったこともあったことも告白すべきであろう。即ち、『神霊』としての働きそれ自体を、飯綱信仰においては、決して無視してはいけないのだと思っている。

信州飯綱の『飯綱明神』と武州高尾の『飯綱権現』を比較してみると、天狗信仰という神霊信仰をベースにすることは共通し、且つ、数多くの天部尊を取り込んで、本地仏として『勝軍地蔵』、または『不動明王』に分かれるのだが、ともあれ独自の信仰を(複雑に)受け継いだのが、この飯綱信仰の真骨頂ではないかと思っている。それら諸要素を、パズル宜しく繋ぎ合わせてみれば、娑婆世間の抜苦与楽を願う修験者の祈りは、この一尊に強く強く込められているのではないだろうか…。そんなことを思うようになってから、妙に腑に落ちるものが(更に)あって、今では自坊のお勤めで、本尊/不動さまと一緒に礼拝をしている。

率直に思うことは、修験道という実践第一を旨とする信仰は、験力を前面に打ち出すことを(自然と)求めらるものだということである。但し、この『験力』なるものは、決してパフォーマンスのそれではナイ。鬼面人を驚かすではなく、その祈りを間近にしただけで、強い感銘を受けるようなもの、或いは、祈願をするその人自身が、娑婆の苦海にあっても、断じて道を踏み外さないよう、強力に外護するものでなくてはいけないのだ。

企業社会に籍を置きつつ、密門/験門の徒弟として活動することは、ある意味、代償を払うことを覚悟する生活があると言えるだろう。逆に、それを楽しむくらいの根性(?!)がないと、大方挫折するのは目に見えている。

所謂『スピ系』と呼ばれる世界と接点をもった時、その人は、人にいくら説明しても到底分かってもらえない体験を、一つや二つはするものだ。特に『力のある行法』に取り組んだ人は、その時になって初めて、自身の外護それ自体を真剣に願うはずだ。異変という名の『身辺の騒々しさ加減』は、実際に体験してみないと分からないものだからである。

この飯綱権現という仏さまは、『戦国の乱世を経て半僧半俗を旨として生きてきた多くの有名・無名の行者の思いを、一身に背負っている神霊だ』と確信するのは、私一人だけではあるまい。

娑婆に生息する行者が、その生涯を託す本尊として心に定めた仏天とご一緒する信仰生活―――。飯綱権現の外護ある限り、それは円満に成就するものと確信できる理由は、ひとえにこのような『思想的/哲学的背景』と、『日常の神秘体験の実際』とが不思議に織り成す『諦信への道』でもあるのだ。