蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

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その機関誌『●門第4号』の『宗務会のお知らせ』には、このような記載がある。

●『xxx修行の累滞の者は、所詮そこまでの縁である…云々』(文責:蓮華童子

F先生の晩年の姿を知る人ほど、『うえ~、厳しいなあ…』と感じるかも知れないが、創刊号から第3号までは、寧ろ修行者を諭しつつ、励ますような内容の記載だ。『一つ一つを丁寧にやっていこう』とかあって、その人の奮起を促すようなトーンになっている。無論こういう言葉が、その人にとっての『師恩』として、ずっと記憶に残ることに疑いはない。

一方、『やはり』と言うべきなのか、多くの人が開白したにも係わらず、何らかの理由で停滞、または断念していたのだ。このような状況、即ち、『半僧半俗の制約』とは、昔も今も変らないことの証左なのであろう。改めて、求道における厳しさの一断面を見る思いだ。

恐らく、F先生なりのイライラは(かなり)あったのだろう(笑)。而して、これと似たような発言を、最近も師僧から聞いたばかりだ。『よっぽどあいつは仏縁がなかった、そうとしか言いようがない』という(まるで苦虫を噛み潰したような)言い方だった。最後の最後まで、気持ちを引き締めて緩めることのないように―――。そんなニュアンスだったと思うが、それを言うときの苦渋に満ちた表情は、何故だか印象深い。

要は―――、『最後の砦は自分自身だよ』ということである。ダンマパダ(法句経)にある『己こそ己の依るべきところ』『よく調御する己こそが、本当の依るべきところである』なのだ。

昨今の教育論議を知る人ならば、無慈悲にも弟子(生徒)を突き放した挙句、指導者(教師)の無責任さを正当化するような態度ではないか、くらいの文句をつけることはするだろう。実際、私も最初は、内心でそう思っていた。

それにも係わらず、修行者が自らの宿業(という暗黒の闇)を自覚した瞬間、そのようなロジックは『氷解』した。こればかりは、自らの体験を振り返って率直に『そうだから、そうだ』としか言えない。つまり、自らが背負ってきた宿業との対峙だけは、自分自身で決着をつけなくてはならない性質のものであり、そこから目を背けた瞬間、『験門修行の全ては終わる』という現実の迫ることが、修行の一環としてあるということである。

まさに『三世因果』という仏法の教えが、その瞬間に現前することを知ると言えば、話は簡単だ。要は、師僧はこれをサポートすることは出来ても、根本治癒のそれだけは出来ないことに、問題の本質があるのだ。本人自身が、全人生を賭けて決着せねばならないのである。分かりやすく言えば、師僧は『薬の調合と施術は出来る』が、『体質を抜本的に改善する』という最終レベルの仕上げは、本人だけにしか出来ない事なのである。それゆえ『習ったとおりやる』のならまだしも、『習ったことだけしかしない』ならば、大間違いとなってしまう。ここにおいて創意工夫が(苦難の渦中にあって敢えて)要請される所以であり、少なくとも、そのためには良き出会いを重ね、良き経験を『自ら求めて』積まねばならない。

ところで初期の先達師は、概ね3年間くらいで結願まで漕ぎ着けていることが、他の記載から分かる。指導する師僧が、厳しく強いチカラを発揮している時、そして、それに取り組む修行者の真剣さとが噛み合った時、物事の歯車がキレイに回る関係となるのだろう。『3年以内』とは、正直なところ『昔は早かったんだな』と感じるのだが、それにもまして、先輩先達師を指導された先々代/火●禅院大僧正の影響は大きくあって、まさに『行者魂』なるものを叩き込まれるような、そういう経験を身近にされていたと思った。

余談になるが、先々代の時代は、今とは比べものにならないくらいの厳格さがあったとお聞きする。御札書き一つをとっても、沐浴潔斎して後、浄衣に着替えて、部屋に香を焚き、(何と!)一字一字を剣札に書き込むことをしていたのだ。無論、その間の私語は厳禁だ。『スゴイ恐かった…』のだ(笑)。

今ならば、印刷された剣札の羽織部分に手書きをするのが、(かなり)一般的になっているが、当時はカンマン梵字から(コレが当たり前なのだが)オール手書きだった。私自身も、先般、昼一時から始めて、夜中の一時まで、祈願札のオール手書きに挑戦したが、翌朝、右腕が筋肉痛になっており、情けないことにペタン湿布のお世話になった…(苦笑)。

書いてみれば分かるが、木札専用墨汁は濃い目に出来ていることもあって、『滑りが悪い』。しかも、その墨汁はニカワが多くあるため、時間が経つと直ぐに固くなってしまうのだ。よって都度、水滴を垂らすことも欠かせない。筆の穂先の固まるのが早いこと、早いこと。墨書きに慣れていない現代人にとって、これはこれで『修行』となるものだ。

ともかく、強い情熱をもって打ち込んでいた時代―――。先々代を知る人の『エネルギーの塊りみたいだった』との述懐が、『マイルストーン』と言うよりも、『ガイドライン』として刻印されたような、そんな気持ちでいる。