蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

『サラスヴァティー女神(その3)』

本年3/25付け『サラスヴァティー女神』、同4/24付け『サラスヴァティー女神(その2)』でSさんの病状をご紹介した。

一昨日、山形のK師より、その後についてメールを頂戴した。そのメールには『Sさんの脳内の腫瘍は、ほぼ消滅した』とあった。要するに、Sさんの病状は、ほぼ完治状態にまで漕ぎ着けたのだ。一度は、Sさんの重篤な症状によって、N県日赤病院内で特別医療チームの編成さえ囁かれていたらしい。こんなことは、医学的に『あり得ない』ことなのだろう、未だに。そして、きっとこれからもだ…。

行者の日常は、『きっとそうなる/そうなって欲しい』と確信/希望する祈願を中心にしてあることは、私がしつこいくらいに書き込んでいることで、大方察知された方もおられると思う。

私の師僧は、『決定諦信』(けつじょうたいしん)という言葉で、その大事について教えてくれた。つまりは『信じきる』のだ。ひとたび“加持祈祷”(まま)を掲げたからには、これをどんなときも忘れてはいけないし、それを絶対に揺るがせにしてはいけないのだ、と。

この『信じきる』ことは簡単なように見えて、実に難しい。特に、現代社会に生きることで自らを当然視するニヒリストたちだけでなく、目に見えるものに囲まれることで自らの特権として勘違いするモノイズムの信者たち。さらには、その影響を大なり小なりシャワーのように浴びながら生活する『私』を含めた一切衆生には、そうそう簡単には理解できない大事に違い。

それで―――、私は今回この祈願の実践に参加された(であろう)K師を含む、複数の行者師のあった事実に、言い知れぬ感動を覚えていることを告白する。K師は、日ごろ『拝みきる』という言葉で、その辺りを説明している。

言えることは、この境地に至るには、日日の錬行を繰り返しつつ体得するしかない、という極めてシンプルな原理原則である。頭だけの理解が破綻してしまうということを、この手前に差し掛かった段階で、人は(生まれて始めて)知る。師僧から習った『決定諦信』は、まさに身近な実践の中に秘匿される大事なのだ。

ともかく、一連の祈りの実践は、まったくのボランティアでされたことである。遠くインドの神々の祝福を受けた稀有の日本人ヒンドゥー行者=Sさん。Sさんに対する深甚の敬意、そして友情という点で、皆一致したのだと思っている。

ところで、この世界の言葉で『本尊の三昧』があり、それにシンメトリックさせる形で『病者の三昧』を言う場合がある。日ごろ、行法の実践的なアドバイスを頂くなどしてお世話になっている埼玉のK・R先生は、脳内におこる異常を加持するような場合、ご自身の豊富な体験事例から『業病』を疑ってから取り組むことを、強く言われている。その意味するところは、体験した人ならば、直ぐに了知するだろう。しかし、ここではこれ以上は敢えて伏せる。

そもそも『本尊の三昧』の境地とは何か。今なお、自分の中での課題に違いない。作法上の云々も勿論ある。だが、最後の最後では、自分の生活を律することの中から、その極意は紡ぎ出されるのではなかろうか。しかも皮肉なことに、それはストイック一本槍ではダメだ、と直感する。より分厚い『プラス・アルファー』が要る。

そういうことをつらつら考えているうち、自坊の本尊さまの前で、深々と頭を垂れる自分がいた。そして―――、弁財天女、そうだ、サラスヴァティー女神の威神力を間近にした自分がそこにいた。

かつてサラスヴァティー女神/弁才天女は、中世インド・ヒンドゥー教の法匠として活躍したシャンカラ大師の論争勝利を手助けされたことがある。この女神の加護によって、『不二一元論』に永遠の魂が宿ったと言える。この『不二』から派生する密教哲学は、遥か東方に遠く離れた日本においては、摩訶不思議なことに“加持祈祷の行者”に強く支持されて今日に至っているのだ。尤も、そんなことは意識から離して、ひたすら実修実証に向かうのが本当の行者なのだろう。まだまだ道半ばだ…。

インドの神々、とりわけサラスヴァティー女神/弁才天女による祝福は、まさにSさんのような『哲人』にこそ相応しい。