蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

本物

本日の朝刊(10/22付け)の各紙とも、比叡山無動寺明王堂における『星野圓道師(32)700日目堂入り達成(戦後12人目)』を報じていた。

この千日回峯行を知る企業社会の人は、思いのほか多くいる。理由はハッキリしている。わが身に重ねることで、ともすれば挫けそうになる自身を叱咤激励する手本とするためだ。

職場の社長も、私の素性を知るや開口一番『千日回峯だよな…』と。『あの、宗派が違うので…』という返答を呑み込んで、すかさず聞き耳を立てたものだ。無論、おべんちゃらのそれではないのだ。立場上、どうしても強がって見せなくてはいけない姿の向こう側に隠された本音を、次に社長が発した言葉で即座に理解したからだ。

『まるで千日回峯だよ、毎日が…』

総合商社の名前を冠する某グループ会社のトップ。日日の重圧を受けるという意味では、私のような中間管理職と同じだ。一人の生身の人間としての、その時の弱音とも本音ともつかない社長の一言が、今もって耳の底から離れないでいる。

千日回峯行を初めて知ったのは、大学生の頃だったと思う。現・飯室谷長寿院住職/酒井雄哉師の修行を紹介したテレビ番組を目にした時だ。その時、私の眼は画面に釘付けになって、身体がガタガタ震えるくらい、言い知れぬ感動を覚えていた。

『人の魂を打つ』とは、まさにあの時の体験を言うのだ。『一切の見返りを求めず、決死の覚悟でやっている人が、現実のこの世にいる』と知った瞬間。今となっては、決心して歩くべき道が目の前にハッキリ見えた瞬間だった―――、そう思っている。結縁の宗派は違うけれども、回峯行者としての何万分の一でいいのだ。その至誠の態度を見習っていきたいと願っている。

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人はおいつめられたとき
なにかにすがりたいとおもう
そこで大事なことは
安易にすぐに楽になるすべがあっても
よく目をひらき 耳をそばだて
状況の判断をあやまってはならぬ

ほんものを掴むか 泥を掴むか
平素のこころのつかいかたが
このとき
かならず物をいう

~飯室谷長寿院/酒井雄哉師のHPより~