秘讃 ~聖歌~
愛染王讃という声明がある。『秘讃』即ち、一定レベルに達しない人には、厳重に秘する声明という意味だ。
愛染法を拝むとき、実はこの声明に出会う。ファン登録された方はご覧になったかもしれないが、物好きな私は、無謀にも岩原諦信大僧正の声明五線譜から音を起こして、仮譜に乗せて『秘密練習』をした時期を有する。
昨日、自坊で愛染王法を拝んだのだが、義姉が電子オルガンで録音してくれたMDを、その前日に再生して30分ほど練習してから臨んだ。
『メロディーライン』ですっぽ抜けた箇所を思い出しつつ、何度か口ずさむうち、それは蘇ってきて、本番に臨んで詠唱を試みると、思いのほかスッと出来て嬉しかった。
ここでお断りしたいのだが、あくまでも自行においてのみ(勝手に)詠唱するのであって、お聞き届け頂くのは、本尊さまと曼荼羅の仏天に限定しているものであることだけは、強調しておきたい。教えて下さる明師が、まるで皆無であったという厳粛なる事実の一方で、越法の咎めに対しては、従い、私独りの負うべき責任であり、それに対しては、ひたすら懺悔滅罪の実践あるのみ、と思いつめている。
声明は、普段の法会で用いるものは、ワリと限定されてしまう。下手をすると『四智梵語讃』と『仏讃』で完結してしまうことだって、きっとあるだろう。とりわけ法事では、この二つを基本にする人は多いのではないだろうか。
声明は、出来ないより出来た方がいいに決まっている。実際、供養法の中で詠ってみれば分かるが、『入我我入』というユガを標示する用語などを、とても身近に感じたりするものだ。
考えてみれば、一尊法とは『供養法』を基本とするのだから、可能な限りこの声明を精進することは大切だ。声明を詠唱することで、ヴェーダ祭式の『聖歌の詠唱を通じて、神々を供養する』にリンクするのだ。
愛染法を拝むとき、実はこの声明に出会う。ファン登録された方はご覧になったかもしれないが、物好きな私は、無謀にも岩原諦信大僧正の声明五線譜から音を起こして、仮譜に乗せて『秘密練習』をした時期を有する。
昨日、自坊で愛染王法を拝んだのだが、義姉が電子オルガンで録音してくれたMDを、その前日に再生して30分ほど練習してから臨んだ。
『メロディーライン』ですっぽ抜けた箇所を思い出しつつ、何度か口ずさむうち、それは蘇ってきて、本番に臨んで詠唱を試みると、思いのほかスッと出来て嬉しかった。
ここでお断りしたいのだが、あくまでも自行においてのみ(勝手に)詠唱するのであって、お聞き届け頂くのは、本尊さまと曼荼羅の仏天に限定しているものであることだけは、強調しておきたい。教えて下さる明師が、まるで皆無であったという厳粛なる事実の一方で、越法の咎めに対しては、従い、私独りの負うべき責任であり、それに対しては、ひたすら懺悔滅罪の実践あるのみ、と思いつめている。
声明は、普段の法会で用いるものは、ワリと限定されてしまう。下手をすると『四智梵語讃』と『仏讃』で完結してしまうことだって、きっとあるだろう。とりわけ法事では、この二つを基本にする人は多いのではないだろうか。
声明は、出来ないより出来た方がいいに決まっている。実際、供養法の中で詠ってみれば分かるが、『入我我入』というユガを標示する用語などを、とても身近に感じたりするものだ。
考えてみれば、一尊法とは『供養法』を基本とするのだから、可能な限りこの声明を精進することは大切だ。声明を詠唱することで、ヴェーダ祭式の『聖歌の詠唱を通じて、神々を供養する』にリンクするのだ。