蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

尊厳

そもそも『人間の尊厳』とは、信仰や表現の自由が根本にあって担保されるものである。為政者のイデオロギーや、まして為政者の恣意的な行為によって左右されない。そもそも、そのような『人間の愚かさ』の対極に位置するものだからである。

過去も、今この瞬間も、そして未来永劫、無辜の人間に手をかけてよい道理はない。そのような事例を拒否したいなら、世界中のマスコミを無条件に受け容れて、ありのままを見せて証明するべきである。『敵とは交渉しない』などという、21世紀の世界にあって、硬直的なドクトリンとしか言えないような原則は、決して通用するものではない。

チベット仏教とは、インドにおいて失われてしまった大乗仏教の典籍が、ダイレクトなかたちで流入し、それを歴代のラマ(高僧)が研鑽を繰り返して発展させた歴史を有する。即ち『チベット仏教』と呼ばれ、『後期密教』即ち『タントラ仏教』『仏教タントリズム』と呼ばれる、甚大であり、且つ、豊穣の一大思想体系である。それが―――、かの地で護持されてきた。

ハッキリ言おう。これら聖教を現地に出向いて研究して得た結果が、実はこの40年間のうちに再評価/再構成されて『地位向上を果たした』わが国の『密教』である。言い換えれば、このような研究成果を出すために用いた資料典籍類は、かの地の人々の理解と支援がなかったら、『絶対に手にすることが出来なかった』ものだ。

ここで振り返ってさらに忘れてならないことは、空海弘法大師をはじめとする各大師が請来された密教とは、その大乗仏教が最高度に発展した教えなのだ、という厳粛な事実である。

その密教がわが国の大地に根付き、歴史の風雪に耐え、やがて大輪の花を咲かせて、われわれの目前にあり、チベットで護持された大乗経典の典籍の助けを受けて、わが国の密教研究は格段に進んだのだ。

弘法大師のそれは、特に『真言密教』と呼ぶ信仰体系であることは、諸賢もご承知だろう。私たちの祖先らの精神生活をして、豊穣な思いで一杯に満たすような、尊い祈りの実践に与えた影響は、もう計り知れないのである。

したがって―――、かの地が『騒乱の鎮圧』を大義名分として、あろうことか、銃剣と軍靴によって蹂躙されてしまう(かもしれない)事態があれば、重大な危惧を覚え、そして抗議する。

仏陀釈尊の衣鉢を継ぐ者として高い誇り。厳しい戒律と精進を重ねて護持されたもの。これは人類共通の遺産であり、未来に間違いなく伝えていかなくてはならない。その聖教を護持する僧団サンガ。そこに思いを寄せる『無辜の』渇仰信心の人々。どうか無事であって欲しい、そう心から願う。

最後になったが、拙いが、私なりのメッセージを述べる。

尊い祈りの実践が根こそぎ奪われることになれば、それは歴史上の大いなる汚点となって語り継がれよう。わが国にあって密門/験門に思いを寄せ、そして、明治政府の為政者による廃仏毀釈の愚挙と、その愚挙に抗して復興の狼煙を上げ続けては信仰の砦を守り抜いた歴史を知る者は、その受け継いだ痛みを、決して他人事として伝承することがあってはならない。

蓮華童子 合掌