二利の双修
『性霊集』巻第一 ~山に遊んで仙を慕う詩~より
名賓(めいひん)は心実(しんじつ)を害し
忽ちに飛龍に駕(が)して翔ける
飛龍は何(いずれ)の処にか遊ぶ
寥廓(りょうかく)たる無塵(むじん)の方(かた)
無塵は宝珠(ほうじゅ)の閣
堅固金剛の墻(かき)あり
眷属は猶し雨のごとし
遮那は中央に坐(いま)す
遮那は阿誰(たれ)の号(な)ぞ
本(もと)是れ我が心王(しんのう)なり
************************************
道教の仙境は虚ろな部屋で真なる悟りの妨げ
真言行人は飛龍とともに忽ちに天を翔け
広大無辺の大日宇宙を庭となす
大日如来の庭は金剛峯宝珠の閣
不退転の金剛不壊の墻で守られ
従う者は限りなし
大日尊は中央に座(いま)せり
大日如来は誰の名号
それ大日如来は我が心の心王、心仏なり
(阿部龍樹著/空海の詩 春秋社刊)
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空海が、儒教の官位に拘る態度を否定して、山の仙人の境涯を慕う道教をその上位に置き、而して、それに随順せず、仏教を最高位に置いた最大の理由―――。
道教では『自利の行果しか得ることはない』。
そう見切ったことにある。
名賓(めいひん)は心実(しんじつ)を害し
忽ちに飛龍に駕(が)して翔ける
飛龍は何(いずれ)の処にか遊ぶ
寥廓(りょうかく)たる無塵(むじん)の方(かた)
無塵は宝珠(ほうじゅ)の閣
堅固金剛の墻(かき)あり
眷属は猶し雨のごとし
遮那は中央に坐(いま)す
遮那は阿誰(たれ)の号(な)ぞ
本(もと)是れ我が心王(しんのう)なり
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道教の仙境は虚ろな部屋で真なる悟りの妨げ
真言行人は飛龍とともに忽ちに天を翔け
広大無辺の大日宇宙を庭となす
大日如来の庭は金剛峯宝珠の閣
不退転の金剛不壊の墻で守られ
従う者は限りなし
大日尊は中央に座(いま)せり
大日如来は誰の名号
それ大日如来は我が心の心王、心仏なり
(阿部龍樹著/空海の詩 春秋社刊)
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空海が、儒教の官位に拘る態度を否定して、山の仙人の境涯を慕う道教をその上位に置き、而して、それに随順せず、仏教を最高位に置いた最大の理由―――。
道教では『自利の行果しか得ることはない』。
そう見切ったことにある。