蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

関東三十六不動霊場巡拝記~発心編⑤~【第四番札所/真福寺】

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★ 第四番 和田不動尊

【ご本尊】 大聖不動明王

【三十六童子】 光網勝童子

ご詠歌
○ 偽りの 世にも稀なる 真福寺 法のまことの 花さきにけり

【開山】
● 治承元年(1177)
和田義盛

【巡拝記】
このお寺は、横浜駅から相鉄線に乗り、和田町駅で下車。住宅地の中を5分ほど歩いたところにある。

不動信仰と一口に言っても様々で、自分にピッタリくるものと、そうでないものとがある。本当に言い難いのだが、この札所のそれは後者である(汗)。

告白すると、所謂『滅罪寺院』というものが、私の中では(どちらかと言うと)しっくりこない。これはもって生まれた体質的なものとしか言いようがなく、どうか悪く思わないで頂きたい。

そう言いながら矛盾し、且つ、意外かもしれないが、実際に不動尊は滅罪の仏さまとして非常に重要である。『最初から最後まで面倒を見てくれる(高見寛恭師)』とまで言われれるくらいなのだ。

ともかく、この尊にしっかり頼んだ葬礼であれば、その人に多少の罪過が残っていたとしても、少なくとも三途の川付近でウロチョロすることはナイ。

自坊でしばしば読み上げる『稽首聖無動尊秘密陀羅尼経』の経文中にあるが如く『我に恩ある先亡の者の…(中略)皆引導して、共に安養上妙の刹に生ぜん。乃至四恩諸の衆生、皆悉く利益して共に成仏せしめん』は、一般に知られる不動信仰の隠れた一面を伝えるものであろう。

一方、往昔より、その不動尊の利生を考える場合、やはり現世利益を切り放して言うことは無理だ。密教の先師が、修験道にその信仰の炎を燃やすような場合、不動尊を拝まなかったことなど絶対に無かった、と言ってよいからである。

不動尊には童子という眷属を伴う信仰があり、さらに進んで、娑婆世間の苦海を切り開くチカラの希求が、この尊と眷属の諸童子に託されるような歴史が形作られてきたことは、隅に置くことなど出来ようもない。

それにも関らず、利剣を突き出す不動尊を彫刻させた三浦一族の重鎮/和田義盛公開基のお寺。関東武士団の権力闘争の地でもあった相模の土地、即ち、鎌倉幕府周辺における強い緊張感のあった現実を今に伝えるものだ。

はっきり言おう。鎌倉の土地は『血を血で洗う』激烈な権力闘争のあった土地だ。少し感性の鋭い人が行けば、私の言っている意味を瞬時に理解されるだろう。所謂『霊感スポットツアー』などという、ふざけた気持ちでアプローチするならば、場所によっては、本当に恐いことを体験するはずだから、よく肝に命じて頂きたい。

そういう意味では、高野山の滅罪寺院の本尊さまとして、敢えて静かな祈りの環境に鎮座されたことの意味は、私が冒頭で述べた『好き嫌いの次元を遥かに超えたもの』であることに疑いはない。

そう、その静謐な祈りこそが、鎌倉幕府内の権力闘争によって滅亡した、まさに三浦一族が血であがなった悲願なのかも知れないのである。

【data】
高野山真言宗 大聖山 真福寺 
* 神奈川県横浜市保土ヶ谷区和田2-8-3
http://www.isbs.co.jp/hudou/hudou4.htm