蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

祈りの声

◎『祈りの声』―――。人は遺伝子DNAレベルで聞く。(村上和雄分子生物学者・筑波大学名誉教授)

新客時代、私は、毎日猛烈な焦燥感と恐怖感に交互に襲われていて、こんなにも辛い体験だけは、無論生まれて初めてだった。

まず昼間だ。猛烈な動悸が続く。これが毎日毎日続く。従い、夜はまったく眠れない。決して大仰ではなく、このまま発狂してしまうのでは…。実際、夜に水シャワーを浴びると、頭から湯気が本当に上がってくるような、そんな異常な感覚だった。

自分自身の魂それ自体が、知らないうちにかき回されていて、無残にも吐き散らされ、そう…、その場で白い泡を噴いたまま失神して果てそうな自分。それをもう一人の自分が必死になって支える構図…。

そんな名状し難い、有り体に言って“大混乱”としか表現しようのなかった、もう錯乱寸前の意識を、必死の構えで抱えて、最も強烈な打撃を受けた時期だけで、結局一年間は過ごしてしまったと思う。

恐らく、精神科医の先生がこれを見れば『○×心身症です』というようにして、診断を下されることだろう。きっとそう思うが、一方でこの世界では例えば『障碍』(しょうげ)と呼ぶことで、逆に『ソレ』を乗り越えることを求めるのは事実だ。まさに試練となるこの重大事は、その期間中に鮮明に知ることになった。

『ソレ』について、真言と天台の複数の明師から、それぞれの実体験を交えてお話を頂いた時、私の中で微かではあったが、もうほんの微かではあったけれども、ともかく確実な強靭さを伴う、その刹那には確実に疼いている、まっさらの意気地の切れ端のようなものを、ありありと確認したような気がする。

告白すれば、私が新客の時、経験豊かな明師のアドバイスを耳にしていなかったら、今こうやってブログを書くこともなく、自ら命を絶っていた可能性を否定しない。『このまま朝が来なければいいのだ』と、寝床に入ってから真剣に思っていたことは一回二回ではないし、苦しさのあまり、マンションの踊り場から階下の地面を覗くことも度々あった。

而して、となりで静かな寝息を立てて安眠する家内。『彼女はきっと悲しむだろうな』。家内との思い出。そんなこと、あんなことが、あれこれ頭の中で猛烈に交錯して、『これって一体なんなんだろうな…』と、出口の見えないトンネルをトボトボ歩く自分がそこにいて、たまらなく、そしてひたすら辛かった。

★ 『行者はソレを乗り越えなくてはダメなんです!』(真言K師)

電話口の向こうから、厳しくも暖かい真言K先生の親身の声を聞いた時、ソレ求める世界であることにハッと気付き、同時に、ソレをそれぞれに乗り越えて名乗ることを許される『教師』という立場を明確に意識し、覚悟した。

あの時―――、あと一歩のところで踏み止まったのは、有り難くもK先生の声が脳裏にシッカリ残って、この自分を支えてくれたからである。

この時の辛い体験こそ、巡りめぐって『祈る』ことの大切さを、この私に繰り返し伝えるコアなのだ。これを見て『どうせ思い込みだろう』みたいな揶揄さえあることは、ある意味当然である。でも一向に構わない。好きなだけしたらよい。

『そんな甘っちょろいものではない』とだけは申し上げる。だからこそ言える。人はその気になったら、地べたを這うようになったとしても、ともかく生きてそこにある。

『大丈夫、大丈夫…ウフフッ!』とは、この私に対して、娑婆の職場ではあるが、深刻な顔で相談をしてきた(複数の)同僚に向かって掛けた言葉だ。自分が受けた体験を考えたら、『ホント、ホント、大丈夫なんだよ』と正直思えたし、実際そうでなければ、人さまのために祈る勇気すら湧いてこなかったと思っている。

★ 『うちでは“洗い出し”と呼んでいます。密教よりも修験道の修行の方が、衝撃という面では強烈ですね。ともかく、山を登り始めたら向こう側に降りるまで、必ず辿り着けるのだから、登って降りるまで、つまりは歩き通さなくてはダメです。』(天台H師)

後日、某所における某講習会において、質疑応答の時間にされた説明である。『こういう体験は、自分独りではなかったんだ…』と、H先生のお話しの中で、なにか核心めいたものを掴んだ瞬間だった。

翻って、この種の辛い神秘体験を経なければ、たとえ稚拙なものであろうとも、例えば伝授の次第書を『私記バージョン』に作り変えることと(永遠に)無縁になると確信する。少なくとも『創意工夫』などは、その人の中で死語となるだろう。

この箇所だけは、もはや理屈ではないと思っている。

追伸、これを偶然にも読まれたモニターの向こう側の方へ
『ホント、大丈夫なんですよ』。心配は要りません。『このボクでさえ、こうやって生きておりやす!』