蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

清瀧権現の神秘体験~その4~

前に善女龍王を『実類の神』と記したが、これについては補足して誤解のないようにしたい。

そもそも善女龍王は、八大龍王の一人、シャガラ龍王の第三王女との伝である(御遺告)。雨乞いを司るとされる龍王で、とりわけ法華経における護法善神の一人だ。話が前後するが、後年、神泉苑において宗祖大師が雨乞いの修法を執行した際には、善女龍王清瀧権現として降臨し、大師らの修行道場において、祈願成就の力強い助法・外護をされている。

その系譜からして、善女龍王釈尊の教えを外護する誓願に偽りはない。但し、一定の修道条件を具備しない者に、三昧耶戒の受戒資格は認められないのは、三国伝灯諸大僧祇の厳粛なる決め事である。それは天部の神々であっても、同じく適用されることなのだ。

まして、帰朝前の無名の一沙門/空海にしてみれば、天部の善神というだけで授戒することは、密法の越三昧耶を十分すぎるくらいに意識し、且つ、とても慎重にされたはずで、これについては想像に難くない。

伝では、帰朝する船中で密教守護を誓ったことを理由に、善女龍王は、宿願の三昧耶戒の受戒が許可されたことになっている。大師がその至誠に強く感じ入り、授戒の勇断を下さされたことは、ほぼ間違いないと思う。

その後、高雄山寺(後の神護寺)近くの清滝に鎮座したことを以って、善女龍王は晴れて『権現』(⇒権類)として、即ち、清瀧権現の位置に上ることになった。

ところで、E原さんの本でも紹介された清滝宮について、前回少し触れた。

醍醐寺開山の聖宝理源大師は、この清瀧権現を鎮守として篤く供養されただけでなく、上醍醐に奉祀した如意輪/准胝両観音菩薩の権(かりの)現(すがた)として、寺門興隆の礎に位置付けた。そして鎮守たる清瀧権現は、私ごときの拙き体験をはるかに凌駕する、数多くの霊験を垂れ給うたし、今も、そしてこれからもそうである。修行者だけでなく、篤信の善男善女を外護されるご誓願に終わりはない。

実類―――。ここで大切なこととは、『実類だからと言って、何もかも劣位ではナイ』という当たり前である。実類=悪心をイメージするならば、それはかなり違うと思う。無論、何でもOKを言っているのではない。実際、実類のソレは甘く見ると大やけどをするものだ。体験すれば分かることだろうが、それ以上は言わない。

要は、そこに(必ず在る)菩提心を観て合掌する姿勢だ。つまり、誰しもが成仏の種(可能性)を宿していることを確信して共に歩む態度こそ大切だ、ということである。(如来蔵思想)

『菩薩の勝慧ある者(理趣経百字偈)』の表現は、密教大乗仏教の精華であることの証であり、『無住処涅槃』とも呼ばれる、大乗仏教の利他の極点として受け止めるべき箇所であろう。

だから現世の成仏は可能であり、何億劫のはるか向こうにある、未来世の成仏を主張する論(法相=ユガ唯識)が、却って人々を困惑させ、或いは落胆させかかった時、密教の法匠がそれを乗り越えようとしていた事実を、実類の言葉と共に想起するべきではないか―――。

そうやって考えたとき、鎮守の神祇/清瀧権現の功徳力は、益々の威光を増して光り輝く。

ともあれ、次回以降は、銀座のお稲荷さまに始まる体験記に再び戻したい。

~続く~