蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

清瀧権現の神秘体験~その5~

その銀座のお稲荷さんであるが、知る人ぞ知るの、有名パワポ(?)らしい(笑)。そのお社の名前は、無論明らかにしてよいと思うので、申し上げると『幸稲荷』である。本当に小さなお社で、前にも記したとおり、場所柄、金網で防護されている姿は少しばかり痛々しく感じる。

インターネットで調べてみると、愛情運と金運の願いを宜しく聞き届けてくださるとの由。『銀座のパワースポットに相応しい神社』との説明があった。

その背骨を痛みの一件は、家内が、私がこの手の異変をしょっちゅう引っ被ることを、イヤと言うほど目の当たりにしいることもあって、とても心配していたようだ。後日、この話に関連して『連れて行ってあげたのね…』とポツリと言い、『お役に立てたのだから、よかったね…』と半ば呆れ顔ではあったが、内心ホッとしている様子だった。

連れて行った…。

そう、今だから告白すると、私の中で、華やいだ銀座という土地柄かもしれないが、願掛けされた多くの、それも艶やかな女性の姿と、それと相反するかのような度合いで、その志半ばの、秘めに秘めて、とうとう口に出せないままで終わってしまった、無念の思いが微妙に交錯しながら、その瞬間と、その後数回に渡って、脳裏を掠め続けていたのである。

実は伝法灌頂を終え、ホッとした思いで帰京する新幹線の車窓から、恐らく関が原付近だったと思うのだが、大きな虹が、2~3分間くらいだろうか、見えていた。

その時は、素直な気持ちで『仏天と先師方が祝福してくれたのかな』くらいに思って、とても嬉しかったのであるが、今こうして振り返ってみると、若しかしたら『ホントにお役に立てたのかも…』と。

本山の仁王門をくぐった先の参道。東京は銀座からお連れした(かもしれない)多くの御霊が、歓喜合掌して、曼荼羅の密厳浄土に召されていくような、そんな声とも姿ともつかないが、何かを垣間見たような、そんな一瞬を体験したのは事実だ。

そして、本山の参道の右手の森の向こうに『清滝宮』があって、おなじく女人として、その気持ちを痛いくらいにお知りになるであろう、善女龍王、即ち、清瀧権現のご神意を有り難く受け止めた気持ちに偽りはない。

なぜならば、私も家内も『気持ち悪くなった』因縁浅からぬ場所だ…。密法で結界された聖域で『吐きそう…』って、一体どういうこと―――?、でしょう。『もっらちゃう体質かな?』とか、色々考えました。

『またあ~!?』と、どうか呆れないで(苦笑)。私、かなり真剣デス。

その後、師僧の寺に入峯修行の許可をもらいに伺った時も―――、実は国▲基●教大学に隣接するSバル自動車工場(*)の前を、入峯のトレーニングと称し、早朝にジョギング中、突如『左ふくらはぎ肉離れ』を起こした。何かに、こう、引き止められたというか…。

とにかく、その後は『気を抜けば、ただでは済まない』ことばかり。

それからと言うもの、『そうですね、大丈夫ですよ』とばかりに、『南無有縁無縁一切精霊為増進仏果菩提』と、如法に修行しては、切実に呼びかけられるようになった気持ちがするし、実際そういう生活に切り替えました。

別稿で『施食作法』の一連を記し、週末になると熱心に拝むようになったのは、それらの体験が心のなかで強くなったことが、目下の最大の理由です。

大慈大悲のこころを抱いて…』とする施餓鬼供の根本は、こうやって鍛えて頂いたのかも知れず、そうだとしたら、感謝の気持ちで一杯だ。

★ 南無清瀧大権現(なむせいりょうだいごんげん)

合掌

~終わり~

(*)Sバル(F士重工業)の前身、旧N島製作所の跡地である。旧陸軍の隼・雷電などの戦闘機だけでなく、武器・弾薬を作っていた。勤労学徒動員で召集された女学生が、昭和20年の米軍の本土空襲によって、多く亡くなっている。