蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

ヒン『ズ』ー教

物事の比較判定を行う場合、対象となる事象は『固定』されるのが普通である。尤も、ある程度定型化されなければ、客観的に判定できないのは当然だし、無論それに異論などない。

ヒンドゥー教の原型として先ず想起すべきは、古代インドのバラモン教である。かの釈尊が弟子らに対し『バラモン』と呼びかけておられたことは、原始経典にある通りだが、それは当時のインド社会が、バラモン教を前提とする祈りを日常としていたことの証左でもある。

バラモン教の教えの根幹にある最大事は、『梵我一如』である。大まかには、ブラフマン(梵)とアートマン(我)の絶対的な合一を求めるわけだが、本件を論ずるに際しては、そこに『“実在”を絶対的な前提とする考えのあること』を知ることから始める必要がある。

ところで釈尊のされた最大事は、バラモン教の主張するアートマン(⇒固我)の否定である。それは論理的帰結として、カーストの否定にも繋がっていく。バラモン教の大前提の完全否定―――。釈尊の説は、当初は寧ろ、衝撃的な論として受け止められた。

★ 此処で念のため繰り返すが、完全否定されたのは『個我ではなく“固我”である』。絶対的実在としての我を釈尊は否定されたのであって、行為主体としての我の否定でないところに(格段の)注意を要する。

さて、わが国に請来された密教とは、そのバラモン教が護持していたホーマ(護摩)などの祈祷法を取り入れ、現世利益の要求に積極的に向かい合った『最終段階の』大乗仏教の一派である。その実践者を『菩薩』(ボーディサトゥヴァ)と呼び、『無住処涅槃』なる概念を考え出した大乗仏教顕教諸派の正系の流れを汲み、それが『慈悲』⇒『積極的に徳を積み続ける』という形を具現化させた箇所(普賢行願の行の総体:華厳経)を、漏らすことなく後進の規範として伝えた教えと実践である。

この点を、『現世利益のためにする諸作法』と同時進行で語らなければならない。万一ここを無視するならば、その瞬間、タントリズムとして、別種の信仰体系になることを恐れるべきである。

実際、物事の表面的な部分だけが切り取られて、一人歩きはする事態はしばしば経験することだ。実際、『ヒン『ズ』ー教と変わらないんでしょ』という回答で、(面倒臭くて)何となく了解してしまう態度は、当然想定し得ることである。翻って、ヒン『ズ』ー教云々の回答には、『密教はそれとミックスしたがゆえに、釈尊仏教を劣化させたに違いない』という底意を仮に感じたとしても、ここではそれを問うつもりはないし、必要もない。

知るべきは、宗教とは、教学と実践が両輪の如くあって成立するのであり、特に前者と後者の両立に関して、その責任は宗教者が負わなくてはならないということである。この場合、実践=信仰という面で具体的に言うと、密教は『衣食足りて礼節を知る』を地で行く感があるのだが、そこを、大乗仏教の歴史における最終段階におられた法匠らが、巧みに増広して取り入れた成果として、有り難く受け止めている人たちのいた/いる歴史的事実を知るべきなのである。

わが国の密教学は、この50年くらいの間で急速に進展した。それは言語学の飛躍的な発展と歩調を合わせるが如くであり、チベット文献だけでなく、サンスクリット語・パリー語など、釈尊ご在世の古代インド言語の解読が、旧来のものとは比較にならないくらい正確にできるようになっている。かつての常識『漢訳仏教の時代』は、とうに終了したという意味で、この意味するところは重要である。

現在、ヒンドゥー教は、そのような学問的成果の発展と共に『再評価(?!)』されているようである。まったく失礼な話であるが、(万一)識字率の低い国の宗教などというような(愚かな)認識をしているままなら、その主張に係わる所論を、まるで評価に耐えないものとして完全否定することは、以前にも増して簡単であろう。

その人の好悪を別にして、ヒンドゥー教は、バラモン教以来の歴史的発展過程において、日本密教とは兄弟の関係と言っても過言ではない。而して『ミックス』とする論は、すでに述べてきたとおり、信仰体系を言うに当たっては乱暴に過ぎるのだ。人間のする祈りである。そんな単純な話では済まされない。

日本密教大乗仏教の範疇に身を置く限り、梵我一如はない。但し、如来蔵思想という、宗祖大師が菩提心論と共に最も重要視した考えは、大乗仏教の成仏と慈悲の実践を考える上で極めて大切な箇所であって、それゆえ、バラモン教から発展したヒンドゥー教のそれに、密教が限りなく接近してしまう事実は否定しない。

さて―――、8世紀インドには、シャンカラ大師というヒンドゥー教の法匠が出た。『不二一元論』を説き、現在のヒンドゥー教信仰に多大な影響を与えた聖賢である。一方、このシャンカラ大師は『ヒンドゥー教バラモン形をした大乗仏教徒』という揶揄を、身内たるヒンドゥー教の諸師から受けておられたことを、ここでは紹介する。

それは、シャンカラ大師が冒頭で紹介した『固我の否定』という、釈尊の教えに限りなく接近した論を説いたからである。自身がブラフマン(梵)という宇宙原理、仏教ではダルマ(法)として捉え直す箇所と合一融合(渉入)する意味において、それらが本質的に不二一如の関係とするならば、ヒンドゥー教の中で、なお有力な固我(⇒絶対的な実在として存在する我)は、限りなく普遍化してしまうことを、図らずも不二一元論は説くのである。

結果として、それは般若空としてナーガルジュナ(龍樹菩薩)が説いた論(世界に実体など何ひとつない)と限りなく接近してしまう事実は、真理を求めて歩むべきバラモンの伝灯に照らして、極めて象徴的なことである。

但し、シャンカラ大師ご自身は、大乗仏教徒云々と揶揄されても、決して上座部教徒云々と言われなかった。それは当時の密教がタントラ仏教として、『後期密教』の極点の段階で展開した方便を重視しつつ、決定的な部分では釈尊以来の教説『空性』を護持することと両立したからである。この箇所は改めて銘記すべきである。ミックスという一語で片付けては罰が当たるに違いない。

それから、密教ヒンドゥー教も、多神教の信仰(汎神論)である。それは『方便を重視する』という点で、神霊それぞれに教理的人格を付与して登場させたパンテオンであることに、大きな理由がある。一神教にしばしば付きまとう狭隘な信仰実践はなく、『イイとこ取り』の、ある種楽天的とも言える信仰観が基礎となっていることはもっと強調されて良いのかもしれない。

宇宙の根本原理としてあるダルマ(法)を頂点とするヒエラルキーを護持しつつ、その底辺/外縁とされる箇所にあっても、頂点とは等質であるとする教えを具体的に示す教え。

宗祖大師が御請来目録で述べたとおり、『真理を形にして見せる』ことが、密教密教たる所以なのである。それがたとえ(その人にとっての)“異形”に見えようが、本質的な内容については、己が心眼で見極めるしかなかろう。