龍樹菩薩法
以前、当ブログで上田霊城著『真言密教事相概説(全三巻)』(同朋社メディアプラン)を紹介させて頂いたことがあった。
その本の上巻には、安祥寺流(以下、安流)に伝法される数多くの一尊法が解説されている。安流は別名『御簾流』(みすりゅう)と呼ばれるくらいで、外からは伺い知れないが、中からは他流派の概要を把握することを自在にするを、一面の特色とする。
その中に『龍樹法』の解説がある。前に記したとおり、この高価な(!)本をやっとの思いで入手し、然る後に貪るように目を凝らした幾つかの中には、この龍樹法の箇所があった。
当然と言うべきか、安流の歴代法匠は三宝院流の口訣を必ず引き合いに出す。そして、この龍樹法についても同様である。
正直驚き、そして襟を正したことの中に、龍樹法の稿と『般若菩薩法』に併せて目を通した瞬間だった。
『仁王経念誦儀軌』と『修習般若軌』によって、龍樹菩薩と金剛護菩薩と般若菩薩の関係を述べているくだりがある。
結論めいたことを言ってしまえば、『五大力信仰』と『伝灯恵印三昧耶の信仰』が、何ゆえにこれほどまでに醍醐寺で熱心にされてきたか、その手がかりと示唆を与えるものになると思う。要は『不即不離の関係』なのである。
無論、この箇所は著しく『口伝』のそれであると思われ、これ以上は越三昧耶を恐れるがゆえに記すことはしないが、もしこの書籍を入手された方があれば、どうかそういう目線で、当該の箇所を熟読して頂きたいと思います。
強いて上田大阿のご本からキーワードを取り出すならば、龍樹菩薩/般若菩薩ともに『智慧』が三宝院流(⇒醍醐三流)のそれであろう、ということである。
ともあれ、師僧からは『なんと言ってもメインとなる修行法…』という説明を何度も聞かされ、そういうものだと思ってずっと拝んできたが、先にブログで取り上げた、五大力さんの前行出仕を繰り返すうち、その項目に導かれたような気がして仕方がない。
『南無大聖龍樹大士』
合掌
その本の上巻には、安祥寺流(以下、安流)に伝法される数多くの一尊法が解説されている。安流は別名『御簾流』(みすりゅう)と呼ばれるくらいで、外からは伺い知れないが、中からは他流派の概要を把握することを自在にするを、一面の特色とする。
その中に『龍樹法』の解説がある。前に記したとおり、この高価な(!)本をやっとの思いで入手し、然る後に貪るように目を凝らした幾つかの中には、この龍樹法の箇所があった。
当然と言うべきか、安流の歴代法匠は三宝院流の口訣を必ず引き合いに出す。そして、この龍樹法についても同様である。
正直驚き、そして襟を正したことの中に、龍樹法の稿と『般若菩薩法』に併せて目を通した瞬間だった。
『仁王経念誦儀軌』と『修習般若軌』によって、龍樹菩薩と金剛護菩薩と般若菩薩の関係を述べているくだりがある。
結論めいたことを言ってしまえば、『五大力信仰』と『伝灯恵印三昧耶の信仰』が、何ゆえにこれほどまでに醍醐寺で熱心にされてきたか、その手がかりと示唆を与えるものになると思う。要は『不即不離の関係』なのである。
無論、この箇所は著しく『口伝』のそれであると思われ、これ以上は越三昧耶を恐れるがゆえに記すことはしないが、もしこの書籍を入手された方があれば、どうかそういう目線で、当該の箇所を熟読して頂きたいと思います。
強いて上田大阿のご本からキーワードを取り出すならば、龍樹菩薩/般若菩薩ともに『智慧』が三宝院流(⇒醍醐三流)のそれであろう、ということである。
ともあれ、師僧からは『なんと言ってもメインとなる修行法…』という説明を何度も聞かされ、そういうものだと思ってずっと拝んできたが、先にブログで取り上げた、五大力さんの前行出仕を繰り返すうち、その項目に導かれたような気がして仕方がない。
『南無大聖龍樹大士』
合掌