蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

大日法

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ここに到って、『大日如来の一尊法』となる。

以前の拙稿では、『修験道の本尊さんはお不動さんではなく、本当は大日さんなのです』という大峰山の先達師の発言を紹介したことがあった。私自身、その発言はとても理解できる内容で、大いに共感するものがある。無論、『それを言ったら、皆そうなってしまう』という批判があるにも係らずだ。

ここで大切なことは、個人の信仰観とはまったく別のところで、理智不二の統合化された(インテグラルの)大日如来を構想された先師の偉業を知ることである。さらには、その秘法を受け止める人たちの実践そのものではないか、と思う。

ある方がこの秘法について、台密の蘇悉地法のそれに(逆に)着想を得たのではないか云々、と記されていた。東密では金胎それぞれの大法に拠るがゆえに、大日如来の一尊法をあえて抽出しないのだと。勿論、安流ではこれを伝えるそうだが、恐らくあえて修行する人は稀ではないか。

ともあれ、疑問に思ったら、『修して知るべし』という宗祖大師の言葉を思い返し、黙して実践するのみである。実際、そうやって積年の疑問を解消しつつ、新たな地平を開くことに成功した先師方の存在があり、その事実のもつ意味は甚大である。

少なくとも口訣書の一端でも良いから、丹念に紐解くことだ。実修を第一にする人は必ず当該箇所に導かれて、次なる課題に取り組むチャンスを得ることだろう。

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それにつけても、この大日法を修行すると、無性にホッとする。曼荼羅とは、いのちあるもの全てを包み込んで、それぞれの個性を活かす助けをするもの。そう考えてみると、自分の立ち位置を此処で改めて確認することが大事なのだ、そう感じることしきりだ。

合掌