蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

深砂法~剱岳・点の記~

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昨日は家内と二人で、銀座へ。そして今日は深砂大王を拝んだ。

まずは映画について。新田次郎著『剱岳・点の記』が映画化され、ちょうど結婚記念日のタイミングもあり、二人で観に行った。

新田次郎の著作は、私が高校生の頃、耽読してしまっくった(失敬)、否、貪るようにして読んでいた。ワンダーフォーゲル部の部員であったこともあり、自然と山の小説を手にとっていたのだ。

一般には立山の『剣岳』と記すが、映画のタイトルの如く“刃”『剱岳』という字を使う旧字体の方が、この作品の真骨頂を伝えるのに相応しい。生半可な気持ちで近づく者の人の命を、鋭い切っ先の刃で抉り取ってしまうかのような急峻な岩山だからだ。

作品の主人公は、陸軍総参謀本部の測量手/柴山芳太郎であるけれども、私は、この作品には確実にもう一人の主人公がおり、それを挙げろと言われれば、迷わず『案内人/宇治長次郎である』と言うだろう。

芳太郎を演じた浅野忠信も、無論素晴らしかった。危険を顧みず、しかも陸軍内部の文官という立場に向けられた軍人の目線に耐えつつ、寡黙にして誠実に仕事に打ち込む姿。日本人の仕事に向かう原型として誇るべきものだと、外国人相手の今の仕事を知る身にとっては、隠し立てすることもないくらい賞賛の気持ちで一杯だ。

一方、香川照之の演じた案内人/宇治長次郎は、こちらもまた、古き良き日本人の一途さを表現して余りあるもので、さらには、『立山に登る人の神さま』と思えるくらいの、強いオーラを発していたという印象だ。

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ところで―――、深砂大王は日光開山/勝道上人による浄道開拓の聖業を助けたことで、修験道の善神としても知られるところである。最も有名なところでは、大般若経を請来された玄奘三蔵を砂嵐遭難から救った荒野鬼神であろう。

どちらに共通することだが、『その人が新たな道を開かんと欲するとき、必ずや助けん』との誓願を発揮されていることで間違いないと思う。

この作品では、柴山芳太郎、宇治長次郎ら、陸軍測量隊の一向が苦難の末、剱岳山頂に到達した時、祠の中に修験者の錫杖を発見し、それが参謀本部上層部には非常に不快な出来事として描かれている。

『実は千年前に先を越されており、一番乗りではなかった』ことが、彼らには不快であったというのだが、私の目には、その錫杖の向こう側に深砂大王の如き善神がおられて、誠実に登頂に向かった彼らを導かれたものとして受け止めたいと思っているし、実際、山に一番乗りだのは、ハッキリ言って外道の企てとしか言いようがないという意見だ。

最後になったが、一つ二つばかり、ご参考を記したい。

伝説の案内人/宇治長次郎の奥さまの名前は、実は家内と同じである。宇治という名字も、家内が小学生~高校生まで住んでいた土地と同じだ。

そして、剱岳の測量登頂のされた明治四十年の確か四年後であったと記憶するが、家内の曽祖父が部隊を率いて登頂し、その時の感激を立山杉で作らせた文机の裏に書き付けて、息子である家内の祖父に贈っている。

『全員で大元帥陛下万歳を三唱し…云々』とあり、行間からは、無事行軍できたことにホッとしている感じがとても強く伝わってくる。参謀本部として、出来たばかりの地図を確認する意味もあっての行軍であったと思うが、ともあれ、それくらい緊張を強いた危険な場所だったのだと思う。

『これを観ておけと、呼んでくれたのかな…』と。

(家内の曽祖父とは、M・T作戦部長とだけ申し上げて詳細はご勘弁を。もしお知りになりたければですが、司馬遼太郎著『坂の上の雲』でご確認ください)

聖賢に曰く、一見は百聞にしかず。興味のある方は、映画館に足を運んでその目で確認頂きたいと思う。

合掌