蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

愛染法~法螺の音~

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今日は愛染法を拝む。

私の知る範囲では、愛染明王の供養法を頻繁にされる人は、いそうでいないようである。利生という点では、敬愛のそれを除くと、少しばかり哲学的になってしまうのかも知れない。

ただ言えることは、『黒業の累を除く』という箇所にだけは深甚の注意を払うべきである、ということだろうと思う。般若理趣経の『大欲得清浄』の教えを、そこに重ねていくべきなのだ。

さて―――-、先般山形のK師と久しぶりに電話で話をした。現在進行中の某企画に対して、ドラフト段階であるが、若干のコメントを求められたのである。無論、私なりに考え付く範囲ではあったが、返答をさせて頂いた。

話の中で、本間先生の立螺秘巻の話題があった。特に『当り』という技法について、私が『祈願の螺』に思うところを述べた関係で、その話になった。

この『当り』、即ち柴灯護摩供における『護摩の螺』と並んで、『祈願の螺』は非常に重要であることを本間先生は指摘されていたそうである。『立螺による一字金輪呪』とでも言うべきか。

而して、護摩の螺は頻繁に耳にすることはあっても、祈願の螺に至っては、ほとんど皆無と言ってよい。無論、一部の柴灯護摩道場ではあるのだが、(私も含めて)大抵は護摩の螺をもって満足してしまう吹螺師は少なくないと思う。

ところが立螺秘巻では、護摩の螺・祈願の螺・満願成就の螺(→これはいつか別の機会に記す予定)というようにして、バリエーション豊かなメニューを記されていたことに対して、私たちはもっと謙虚に、そして、熱誠をもって取り組まなくては罰が当たるのではないか。

「『当り』は思ったより難しくないです」などと言えた義理ではないが(苦笑)、乙音から甲音に移行する際、唇を若干にずらすことを修得している人ならば、わずかにずらして吹き上げる練習を繰り返すことで、思いのほかすっと出てくる筈だ。

尤も、そこに本間先生が立っておられたとして、「じゃあ、キミ吹いてみて」と言われたら、緊張のあまり音がすっ飛ぶことだろう…(大汗)。

ともあれ、来週の火渡り修行では、失敗を恐れず果敢に挑戦していくべきはして、大盛会の法会となるよう微力を尽くしたいと思っている。それがお目にかかったことはないけれど、不世出の大吹螺先達/本間先生への報恩謝徳の道ではないかと考えることしきりだ。

『南無金剛愛染明王』 合掌