大日法~妙一乗不二
今日は大日法である。
但し、それは当山派所依の『玄深口訣』に目を通した上で、それで、もう一度よく考えて発言したのか、その人に対しては、その時きちんと確認すべきだったのかもしれない。
それでも、『否、大日如来ではナイ(!)』とするならば、その人のスタイルとしてどこまでも貫くべきである。敢えてこちらから否定などしない。
“妙一乗不二”という当山派の教義。『理智不二界会礼讃』を読経すればするほど、この根本を蔑ろにしてしまうと、もはや当山派修験道足り得なくなってしまうような気がして、自分としては他の仏天を拝みながらも、この大日如来/ビルシャナ仏への信仰は大事にしたいと思ってやっている。
否、実践第一とかを言うあまり、『何も考えなくて良い、先師の遺稿を何一つ尋ねずとも良い⇒勉強しなくても良い』として、“怠慢の言い訳”にしてしまっては元も子もないとだけは思っている。やはり、“鳥の双翼”、“車の両輪”なのだ。
『南無摩訶毘盧釈那仏』
『南無理智不二界会諸尊聖衆』
合掌