TARO
『世界という一般的な極大概念に対立するパティキュラリティー、生きがい。「世界」に対する「日本」。それは端的にいえば、日本という通念、パターン、その一般的惰性に孤独で対決する人間だけがつかみ取り、確立するものだ。』(「結語」「原色の呪術」文芸春秋、1968年2月、p.457)
… 『生誕100年 岡本太郎展』のパンフレットより …
★ 人に認めてもらおうとか、好かれようとか、そんなことどうだっていい。むしろ認められないことを前提にして、自分自身を突き出すんだ!。
TAROさんの作品と生きざま…。その時、大阪の小学校三年生時代に何度も訪れた万博広場。もちろん、何十回となく見上げた『太陽の塔』。これが走馬灯のように、同時進行で心と頭の中を駆け巡っていた(*)。
(*)(太陽の塔アイジャック事件というものがあった。太陽の塔の眼の片側にヘルメット姿の男が座って占拠した事件。この時、小学校の遠足で来ていた僕らは、下から手を振ってオーイと叫んだ。その男もこちらに気付いて、手を振り返した。)
孤独を恐れるあまり、ちっぽけな自愛に囚われるあまり、自分自身の真実の生命を無残に糊塗しては媚びる、卑しい態度。ここから己を引き剥がし、自分の真実の生命を燃やして突き進め。
僕は本当に打ちのめされ、猛烈に励まされ、そして、感動した。TAROさんの作品は、“爆発”しながら、そのことを今でも僕らに強く伝えている。