蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

西行法師~崇徳上皇さまのこと~

平清盛の再放送を見た。日曜日の夜に見なくて良かった。なぜならば、崇徳上皇の憤死の様について描いていたからだ。この話は、以前にブログで取り上げたこともあって、『オリンピックついでに楽しく見るという訳には参りません…』。
 
ドラマの中の時代考証というか、細かな作法に眼が釘付けになった。“その筋の方”はお気づきであろう…。大威徳明王真言を何度も唱え、且つ、ハッキリとは見せなかったものの印契もそのように演出されていたように見えた。
 
実際、大河ドラマ平清盛』の他のシーンでも、“作法に”関して幾つかかなり本気モードの演出があるように思われ、少しハラハラしなが見ていることは事実だ。(それ自体を咎めているわけではないが…、こういう人も少なからずいるということで了とされて下さい)
 
一方、(イケメンの)西行法師が登場して、法華経の納経のため厳島に向かう清盛一行と海上で(崇徳上皇の怨念の)暴風雨に遭遇、船中にて不動真言を一心に唱え祈るシーンがあった。(同時に(これまたイケメンの)清盛は、『南無観世音菩薩』と…)
 
西行法師についは、以前のブログで記したとおりである。
 
厳然たる密法のチカラによって『上皇さまをお諌め』する意味の方を強く感じながら見た。これこそが臣下の取るべき道であることも、以前に記した通りである。
 
即ち、北面の武士として一時はお傍近くにお仕えした身であり、その後、讃岐国白峯にて大摩王に変化してしまわれた崇徳上皇の亡魂と対面。そしてその衝撃のゆえにこそ、強く強くお諌めした際、
 
西行、そなたとてこの世の辛苦を厭い、己が生の苦しみからひたすら逃れんとして、仏にすがったではないか。なにゆえ、そなたにこそ、この身を咎める資格をやあらん!!』
 
このようにして激烈な反駁を受けたものの、それでも臣下として(かつての)主君のお一人として、そのひたすら思う真心を、真正面から怯むことなくストレートにぶつけた人――。
 
いつの世も、勝者(成功者)には敗者の思いを背負う責務があって進むのが本筋であろう。平清盛厳島神社への妙法蓮華経全巻の納経は、権力者の手前勝手な贖罪からだとか言われたりするが、本筋はそういうことだ。
 
ともあれ、(別に自分が成功者だとか勝者だとか思っている訳ではなく、日常の己が身を律する意味から)そのようなことを色々と省みる機会を与えて下さる存在。私には他ならぬ崇徳上皇さまだと思って、いつも手を合わせている。
 
『南無崇徳上皇尊儀』
合掌