蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

声明~理智不二曼荼羅海会~

真言声明には大きく分けて古義派と新義派の二つがあり、ここでご紹介するのは後者のものである。詳しい方は、即ち『智山声明』と言われることだろう。
 
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唐突であるが、私の身内には軍人が数人、さらに軍属、さらには文官として国家に奉職した者が何人もおります。
 
昨今の靖國神社の一連は、その政治的な是非を言う以前に、遺族関係者にとっては強い悲しみを覚える出来事です。末裔の端くれたる私でさえも、『もうこんな騒動は見たくない!』、そう叫びたい気持ちに何度も襲われたことを告白しなくてはなりません。
 
一国の総理大臣が国家に殉じた人たちの慰霊をした結果、東京裁判にて断罪されたA~C級の戦犯がいるからと、大きな軋轢を生む事件としてしか報道されなくなってしまった現状…。
 
言えることは、『自分の身内がその戦時の渦中にいた事実こそであり、だからこそ、たとえ世界中を敵に回したとしても、自分だけは味方なのだ』――、その複雑な思いが遺族の胸に中にはずっとあって、それを秘めて秘めて多くが今日に至っているということです。
 
遺族の多くは老いました。そのほとんどが間もなく鬼籍に入りましょう。
 
一方で、その誰にも語ることなく秘められてきた物語のたくさんあったこと――、私たち日本人はその事実に目を背けるべきではありません。
 
今日の繁栄はその犠牲の上に成り立っていることを、誰よりも強く理解していたのが遺族であったとしても、しかしながら、それを自分から口に出すような真似だけは絶対にしないできたこと、頑なとでも言うべき態度で、ずっと自らに封印を課してきたこと、その深い悲しみに裏打ちされた事実を私は知っております。
 
このまま大きく誤解され、或いは、誹謗され、名誉すら回復できないまま消え去るか…、否、もしかしたらまだ間に合うのかも知れません。
 
私たち日本人は心静かに祈ることを通じて、自らの手で戦地に送り出した戦没者の慰霊を真剣に果たさなくてはなりません。
 
“論争”は要りません。まして“騒動”などもってのほかです。
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僧籍の末席を汚すに至った末裔の私――、今はただ、真言声明を、大日如来曼荼羅海会にお帰りになられた御霊に捧げたく存じます。
 
『願わくばこの功徳を以て普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを』
 
『南無遍照金剛』
『南無聖宝尊師』
『南無神変大菩薩
合掌