蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

特攻服

昨日テレビを観ていたら、元暴走族のリーダーだった男性が出演していた。暴走族から脱退させるため、広島における地道なボランティア活動が紹介された。その彼氏も、その活動の大切さに気付き、協力を申し出ているとの由。

ボランティアの方の『優しい言葉/態度』は、決して無力ではなかった/ないこと―――。観ている側にも十分伝わってきた。その根本を支えるところには、間違いなく不撓不屈の気持ちに違いない。それなのに、それを表立って見せない態度…、全く頭の下がる思いがした。

ところで、『特攻服』なる暴走族リーダーの衣装。それに、地下足袋、そして作業ズボン。どこかで見たシルエットだなあ…(笑)。

そうだ、掛衣、地下足袋、袴…。修験者の定番ではないか(!)。まあ何と言うか、修験者はそもそも『アウトロー』の走りでもあった訳である(失敬)。古代日本における山岳修行者の一群には『私度僧』が多くおり、修行で獲得した不可思議な呪術(=験力)を駆使することもあり、当時の律令政府から厳重に警戒され、たびたび取締りを受けたのである。

但し―――、この世界では、自ら志願して神仏にお仕えすることを望み、結果としてアウトローになっても構わないとする人には、それ相応の厳守すべき『掟』を護持させることが実施される。

結論を先に言うが、修験者たらんと欲する者は、俗事において『目立つことは絶対に許されない』ことを粛然として受け入れ、そして覚悟するのである。

★ 山であったことは、親兄弟にも他言することを禁ずる。

これは1300年後の平成の世においても、全部ではないにしろ、ある部分では厳然として存在する『掟』だ。山岳修行を志した人たちによって、厳重に護持される『掟』は(確かに)存在するのである。

★ 上求菩提/下化衆生(じょうぐぼだい/げけしゅじょう)

◎『更なる高みを目指し、精進と研鑽を怠らないこと ⇒ゴチャゴチャと言い訳しない』
◎『自分よりも弱く劣った人ならば、優しく寄り添い、そして優しく導くこと ⇒丁寧に行動する』

逆説的だが、『目立つことを否定したはずの人』が、いつの間にか『目立つ存在』としてクローズアップされてしまうことが起きる。本人も驚くくらいの『期待』を寄せられ、その人は畏れ多いことだとばかり、かつての自分も信じられなかったくらいのパワーを発揮して、求法に励むのだ。

そういう気持ち―――、自分自身を一度はペシャンコにする覚悟が出来るのならば、特攻服を掛衣に着替える自分になれるか、試してみても良いのではないかと思う。どこまでも言い訳の許されない世界であるが、それを乗り切る自分でいる限り、逆に世間では『目立つ』のである。