蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

両祖供養法

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修験聖典では『両祖師供』として、神変大菩薩供養法、理源大師供養法に続いて掲載されている。

そう―――、役行者と聖宝尊師に対する(略式の)供養法であり、当山派行者としての自覚を(改めて)促す祈りだ。

ところで、このブログでは何度か、『略法』について述べたことがある。言うまでもないことだが、略することは雑にすることではナイ。この供養法では、確かに略法形式で編まれていることから、その人が望めば『サッサとできる』し、それはそれでよい。

而して、それが本当に価値のあることか否かは、修行した本人が一番よく知ることだ。

これは専ら私の場合なのだが、この両祖供養法を拝む時、基本の所作を見直すことを常に意識するようにしています。

つまりは、着座してからする幾つかの所作を、例えばだが、師伝に随って正しく行なっているか。或いは、全体を通して、『祈念する』として指定されている箇所の確認をすることで、他の供養法を拝んだ時の応用として活用するなど、略式にされているからこそ、却って丁寧にすることで、『供養法に対する態度・姿勢』の再確認をすることが多くあるのだ。

『効かないものをいくら拝んだって…』とは、時々だが、耳にすることもあった/ある。確かに切迫した一々の願意の行く末を考えて、『悠長なことなどしていられるか(!)』という意見もあるだろう。

実際、この行法は、その内容性質から推測するに『効かない』のだ(笑)。ハッキリ言って、『な~んにもナイ』と言って良いだろう。

自分の中では、とりわけ聖宝理源大師の生き様に凄く厳しい印象があって、逆に『オマエはそんなことを(ちまちまと)考えてやっているのか(!)。バカモノ(!!)』と、こっぴどく叱られてしまうのではないか…、そう固く信じているのだ(大汗)。

だからこそ―――、こういう『祈祷』もあって良い。『な~んにもナイ』と、正面切って言われてしまうような、そういう祈願もあって良い。

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『南無神変大菩薩』『南無聖宝理源大師』

『願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道

合掌