陸前高田の迎え火
京都五山の大文字送り火に使うつもりで集めた松の薪。その薪には被災者自身が鎮魂に向け、その切なる願意を浄書されたから立派な護摩木である。それゆえ、五山の送り火でご供養されるに最も相応しいものになるはずであった。
惨いことをするものである。
一方、その放射能汚染なる懸念(風評)について、その確たる根拠はなんら明かされていない。
陸前高田と言えば、震災直後のことになるが、私の職場近く/有楽町駅前で、陸前高田の文字を染め抜いた半被姿の青年たちが(必死の形相で)募金を呼びかけていたことを思い出す。その迫力に気おされて、客先からの帰りだったのにも係わらず仕事のことが頭から消えてしまい、思わず募金箱に直行してしまったくらいだ。
地域がほぼ全滅するという、今回の大津波災害の中で最大級の被害を受けた地域。
そういう“仕打ち”を受けたにも係わらず、陸前高田の人は抗議することもなく、じっと耐えて、静かに物故者の亡魂を弔ったのである。
私は、昨夜は陸前高田の人々の思いをきっと神仏が照覧されて、各々志すところの御霊を漏らさずにすくい取って下さったと信じている。市井の行者として、この先も鎮魂を念じながら、被災地の一日も早い復興を祈ることに変わりはない。
現実には、『これで安心して大文字焼きを見物できるな、ホトケさんに放射能汚染の護摩木なんか使われん…』とか言って、優雅に団扇を仰ぐ人がいる、そういうことなのだろう。めでたし、めでたし…、関係者の間ではそうなのかもしれないが、そうまでして五山の送り火は執行されるものなのか(?)。
仕事柄、↓のWEB Siteを頻繁にチェックしているのでご参考まで。