京都五山の送り火
陸前高田の方には、本当にお気の毒な結果となってしまった…。
それぞれのお立場で本件に費やされた多大なご苦労、そして、何より渦中にあって示された誠意の数々は、多くの人がすでに報道を通じて知っていると思う。
誠に僭越であるけれども、関係者の皆さまの心は、今となっては大勢の人がこの問題の深刻さを知るがゆえに、却ってそれぞれの立場、立場で、じっとして静かに受け止めている筈だ。
そもそもこういう五山送り火でご供養せんとのお気持ちに対しては、多くの人が感謝していると思う。場所は陸前高田ではないが、私の家内の叔父が宮城県亘理郡山元町の自宅で被災し、命を絶たれたことは以前のブログで述べたとおりだ。
実際、五山送り火の話が報道された時、仙台出身の先祖をもつ家内はとても喜んでいた。彼女は小中高を京都で過ごしたこともあり、それは単に陸前高田の話にとどまらず、同じ東北の人のための話として受け止めたようだった。
私は率直に、本年の五山送り火は(単なる)風物詩のそれではなくなっていると感じる。