蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

愛染明王

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★敬愛の至極は降伏なり。(渓嵐拾葉集)

今まで何となくピンと来なかった愛染明王の利生。台密の伝を知ってから、そこに身に即して感じるものがある。

この明王について語る場合、大抵は敬愛、即ち『縁結び』である。恋のキューピットにも似て…、みたいな表現もあったような気がする。それはそれで『可愛い』―――。

ある日の職場での出来事。『一寸の虫にも五分の魂』を思わせるような、まさに憤りを感じさせるような出来事があった。その人は、取引先からの招待状を机の上に放り投げて見せた。その会社の創立記念パーティーの招待状だった。

あろうことか、そんなものうちとは関係ないだろうと言わんばかりに、そして、捨て台詞ともつかないような乱暴な言葉を吐いて、その人は去っていった。

私は正直怒った。『●△さん、それはいくらなんでも失礼だろう』と。格下だからと、彼らの顔に泥を塗っても関係ないと言うつもりか(?!)。

それは奢りの始まりである。放置すれば、やがて自分達の足元を揺るがす凶事になっていくだろう。なにより、人としてそんな無礼な態度は取ることは許されない筈。

台密の伝で、愛染明王三宝荒神が対の関係にあることをお聞きしていた。三宝荒神尊は、東密では『荒魂の総体』(慈雲尊者)として受け止められているが、『大欲得清浄』(理趣経百字偈)の意味合いをシンボリックに表現する仏尊として捉えれば、その意味するところは案外スッと入ってくる。

その晩、私は三宝荒神のそれをオモテにして、愛染明王の印言を同時に祈った。

翌朝、その人は会社を休んだ。身体に変調を来たしたのだ。それは風邪とか、そんな生易しいものではなく、その人が無理をして蓄積したものが噴出したのである。要は、仏天が感応されて、そのキャップをチョッとだけ外すしたことになるのだろう。

結局『歩けなくなっていた』とだけ申し上げる。詳細はプライバシーもあり秘するが、後日聞いた話では、医者から大目玉を食らったようである。『この数値、アンタ、死にたいのか(?!)』と。

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愛染明王の利生に関連して、案外忘れられてしまいがちなものを此処では紹介したい。それは『破宿曜』と呼ばれるものである。

密教では『星の信仰』をする。『星供』『星祭』という言葉をお聞きなられた方は、かなり多いだろう。大抵は節分だが、お寺によっては冬至の日に執行する。夜の一番深い日にだ。

『宿曜』とはその星の運行を観る技術であり、厄災を未然に防ぎ、或いは善星に大いに外護してもらうことを期する祈りの基礎理論である。愛染明王は、その宿曜の基盤となる星の輝きを、自らが住する日輪の強烈な光りによって制圧することを任としている。

星の厄災を感じたら、愛染明王に祈ることは大いにお奨めしたい。決して『縁結び』だけでは終らないのである。そして、その利生の延長線上に、娑婆世間の(ドロドロの)葛藤を清浄調御する摩訶不思議の大威力のあることを、私たちは知る必要がある。

南無金剛愛染明王 敬白
合掌