蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

五大力尊病魔退散法要@総本山醍醐寺

昨日12/05付けでFBにアップロードされた「五大力尊病魔退散法要」をご紹介申し上げます。そもそもなのですが、この写真を見て「あっ、五大力さん!」とか言っても良いのか、今回は少しばかり迷いました…。新型コロナウイルスによって非常に厳しい状況に追い込まれている、とりわけ隣県たる大阪府医療現場の状況を受け、京都の本山が今般特別にこの法会を執行したことに対して、感動とともに、ある意味の衝撃を受けたからです。
さらに、今まで目にしたことのなかった「仁王経曼荼羅」が正面に掛けられたことについても、とても驚いた次第です。事の重大さと、今般の事象に対する受け止めの深刻さを、毎年二月に「五大力さん」の職衆の一人として修行させて頂いている身には、FBにアップされた写真からヒシヒシと伝わって来るものがありました。
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五大力尊病魔退散法要」
~病魔退散・除災招福の願いを込めた五大力尊特別守護守~
文禄5年7月22日(安土桃山)、度重なる天変地異や疫病を鎮めるため、当時の座主・義演僧正が宮中において仁王経法を修したことが義演准后日記に記されています。
令和2年11月23日、醍醐寺ではこの故事に倣い、冬に向かい更に拡散を続ける新型コロナウイルスの病魔に対し、当時実際に本尊として掲げられた「仁王経曼荼羅」を本尊として、「五大力尊病魔退散法要」を厳修しました。
時代を超えて国を思い、人を思う心は変わりません。我々は今このコロナ禍の中で、寺の持つ本来の役割を果たすべく「病魔退散」、「除災招福」の願いを込めた「五大力尊特別守護守」を皆様の手にお届けし、皆様の心に安心(あんじん)をもって日々を暮らして頂きたいと願っております。

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五大力尊病魔退散法要@総本山醍醐寺

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通常であれば、私たち前行に出仕させて頂いている教師は「五大明王像」を本尊として修行して参りました。少なくとも私が出仕させて頂いている、ここ10年間では、初めて目にする荘厳ではないかと存じます。
それで――、僭越ながら皆さまに少し解説させて頂こうと思いました。拙き説明については何卒ご容赦賜りますようお願い申し上げます。
先ず、写真の「仁王経曼荼羅」でありますが、よく見てみると「東方を上位とする増益(そうやく)の曼荼羅」のようです。ご参考ですが、仁王経曼荼羅には大きく分けて二種あります。
① 東方上位で五鈷杵(普賢菩薩)を本尊不動明王の上に描く形式。(増益)
② 北方上位で金剛牙(*)(摧一切魔怨菩薩)を本尊不動明王の上に描く形式(息災)
(*)金剛牙:金剛牙菩薩の三昧耶形たる半三鈷杵を立てて牙の形を模したもの
の上記①②の二つです。
①は小野曼荼羅寺の仁海僧正(951~1046)が創案されたとされます(覚禅鈔)。
②は醍醐寺16世/三宝院流祖である定海(じょうかい)僧正(1074~1149)が仁海スタイルが増益用であることから、後年息災用に修正されたとされています(同上)。
特筆すべき点として、仁海僧正は八天(四天王+帝釈天+水天・火天・風天)を、儀軌にあるオリジナルスタイルに加筆して、世間の災難(特に水難、火事、風害)を避けることを大事として、強調させるべくの独創を持ち込まれたされています。
今般、義演僧正が当時頻発の厄難に際して、この仁王経曼荼羅を掛けて修行されたとのことでですが、「仁王経法は威力甚大の秘法ゆえ、五大尊による降伏の功徳力が転じて増益がオモテになる祈りと心得る」――、そのような内容でかつて学んだことを思い出しまして、その時の記憶と対照しつつ、感銘と共に拝しているところであります。
合掌
★参考文献:小峰彌彦/小峰智行共著「祈りと現世利益の仏たち(別尊曼荼羅の世界)」春秋社(2017)