蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

聖如意輪法~第十九座

聖如意輪法を修法。

令和三年がスタートした。ところが、前日の大晦日は、東京都の新型コロナウイルス新規感染者数が過去最多1337人を記録。ついに1000人台を突破。緊張感が走った。お屠蘇気分など吹き飛んでしまった…、そういう幕開けとなった。

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如意輪観自在菩薩の如意宝珠の功徳力――、改めて肝に銘じているところです。コロナの状況下にあっても、正しい判断、正しい行動ができるように、世のため人のため一心に祈願するまでであります。

本日の一座を修行する直前、当所鎮守たる井口八幡社にお参りしました。

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神仏習合」と呼ばれる信仰ですが、私たちの先祖が150年以上前にはごく普通にお祈りしていたものです。強いて神仏習合とか言わないと、今どきは理解できなくなっている人は多いですが、密教のお祈りの中で当初鎮守のご神徳を仰がないことはあり得ません。

私の修行中に指導して頂いた某明師からは「密教修行していると、修行者の身の周りにしばしば“邪魔”が入るのです。そういう障碍を祓って下さるのです、日本の神さまは」と、ご自身の実体験を踏まえてアドバイス頂いたことを、昨日のことのように思い出します。因みにこの先生は猿田彦命のご尊顔を拝したことがあると言われました。こんなことを言うと、通常は「まさか…」なのでしょうが、私自身が会社員生活と修行生活の両輪を回しながらの、非常に強い緊張感のある日常を送っていた時期でもあり、「まさに神々しく輝くような純白の毛で覆われたお顔だった」とのご説明の詳細は、その瞬間まさにストンと腑に落ちたのでした。こればかりは「実修実証」の次元に没入しない人には、残念ながら到底受け止められない情景なのだろう――、振り返ってつくづくそう思っています。

密教修行、或いは修験道修行の成否が問われるような局面では、私は迷わず「鎮守の神さまを祀るべし」と申し上げています。鎮守たる日本の神さまのご神徳を仰ぎながらの歩みは、修行中のいかなる障碍に遭遇しようとも、必ず目指すべきゴールに導いて下さるでしょう。私の拙いですが、自らの実体験を通じて確信をもって申し上げられます。

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「南無大聖如意輪観自在尊」

「南無日本国大小神祇」

「南無大師遍照金剛」

合掌