令和三年柴燈護摩火生三昧修行
昨日は恒例の火生三昧修行に出仕させて頂きました。
午後からカッと照り付けるような晴天になって、まるで真夏?!みたいな暑さになりました。まあ、とにかく、晴れて良かったです。
午前中は堂内での法要。
その間はあいにくの雨降りでした。大祇師の導師座が濡れないようにブルーシートを掛けたまま。(↓)
一方、護摩壇や幣束などは雨降りの直前に荘厳してしまった関係で、そのままになってしまいました。(↓)
ところで、昨日着替えに使用した護摩堂の本尊壇が一変していて驚きました。(↓)
この不動尊二童子の木彫り像は(↓)ですが、師僧の話によると「どなたか祀って頂けるお寺を探している」という仏師さまがおられて、荘厳されることになったそうです。
「ホトケは自分が行きたいところに行くんだよ」
「自分から望んでもダメなものはダメだよ」
「このお寺の最初なんか、本堂の千手観音一体だけだ」
始めてお目にかかる不動尊二童子のお姿を拝しながら、いよいよ老境の域に入りつつある(少なくとも自分の目にはそう見える)師僧がそのかすれつつある声を振り絞りながらの説明に対して、昔、寒い堂内にて一対一で親しく加行の行法を教えて頂いた時の小僧の如く、耳をそばだてながら聞いている自分がいました。
「老いる」とは傍目には悲しみを感じさせることは事実あります。一方で後進若手に奮起を促すものでもあるのではないか――、「いつまでも頼っていたらダメだよ」「お先にいなくなるんだから」…。そのようなことを言われたような、一瞬とても大事なことを教えられたような、そんな一日でした。合掌