蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

秋の入峰~大山登拝~その3

当日の行程は、以下のとおりである。

11月7日(土)
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*旅館元瀧にて一泊。


 この元瀧にある瀧(HP写真参照)は、ご主人の話によると1600年頃に作られたとのこと。旅館それ自体は、それ以前とのことで、現存する参篭所としては大山では一番古いそうである(驚)。

往昔の大山詣りの人々が、入山前の禊(みそぎ)として心身を清めたそうである。『今でも入らせてもらえるのでしょうか?』との質問に対して、『勿論ですよ、先だって入山された方々も、ここで清めて行かれました』とのことで、次回にご縁があれば、是非そのようにさせて頂きたいとおもっている。

同8日(日)
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朝8時に出発した。まずは元瀧に勧請されている大山阿夫利神社のご祭神(石尊大権現)の分社の前で、しばしご法楽。峰中修行の安全を祈願した。

ご参考であるが、大山は神仏習合の霊峰であるから、心経による法楽で問題ない。元瀧のご主人にも改めて確認したところ、『祝詞と般若心経の両方で大丈夫ですよ』とのことだったので、私が祝詞をあげて拝礼した後、Yさんの経頭で、まずは立螺、次に心経と不動真言による法楽をさせて頂いた。

ここでまたご参考であるが、大山では往昔より『石尊権現と不動尊が並ぶ形で祭祀されてきた歴史を有する』ということである。有体に言えば、阿夫利神社と大山寺の共生してきた歴史のことである。

『なんで大山は神様とお不動さんが並んでいるのかな』ということを、地元の人たちも小さい時に思っていたようである。(阿夫利神社傍の茶店の女将さんの談)

個人的に想像するに、明治政府の神仏分離令の影響は、この地においても想像以上に深刻であったようだ。地元の古老が口を開くことをしなければ、完全にもともとの信仰風景すら消し去ってしまった可能性がある、という事実は指摘すべきだろう。言い換えると、それ(⇒廃仏毀釈)は、土地の精神性を根こそぎ台無しにしてしまうことであり、翻って、それはそこに何世代にも渡って住まう人たちの精神性を破壊する暴力行為となっていたことを意味する。

平たく言えば、『一体自分は何者で、どうしてお爺さんやお婆さんと繋がっているのかな?』という疑問をもったとしても、その意味が(何となく)不明のまま一生を終えるということである。ただ何となく生きていることを(知らないうちに)強いられてしまうということである。

人は『血の繋がり』だけではなく、『魂の繋がり』があるからこそ、またそれを実感できるからこそ、今この瞬間の生を実感できるのではないか。血の繋がりだけでは、説明しきれない何かを積み残すままで終わりはしないか…。

何も“精神性”などと大上段に構えることをせずとも、『魂の繋がり』を実感できるだけで、即ち『こうやって教わったものだよ』と次の世代に言えるだけで、その人は自らの立ち位置に誇りをもてるのでは…。而して、その誇りに気付いたひとは、たとえ苦しい場面に遭遇しても、ギリギリのところで踏みとどまるチカラを与えられるに違いない。

『神さまも仏さまも、両方仲良く』というようなことを、『節操がない』という一言で否定することを万一是とするならば、わが国の伝統文化を根底から覆してしまう愚を犯すことになるところだった―――。そのようなことを、しみじみと感じた瞬間だった。

元瀧を出発して、まずは男坂を登る。途中、子供づれのハイカーに何組か出会う。40分ほどして、大山阿夫利神社の下社に到着。拝礼の後、奥社へ。上り口には鳥居には小さな幣束があり、これで祓いをする。

長い階段が続き、本格的な山道へ。あいにく曇り空であったため、ヤビツ峠への分岐点であり、大山山頂目前の標識でもある25丁目で富士山を見ることが叶わなかった。次回もしチャンスがあれば、霊峰富士を仰ぐことも可能だろう。

途中、何人かのハイカーと会話する機会があった。修験者の装束であるから『すごく修行している人』という目線で質問されることがあり、これは正直閉口した(苦笑)。

勿論、いい加減にしているつもりなど毛頭ないが、こちらも同じく娑婆の生業で身を立てている生身の人間。唯一、信仰という思いが少しばかり勝っていているが故の行動なのだ。当然、“山猿の如き”(師僧談)スピードで上るべくもなく、一歩一歩、喘ぎながらも山の頂を目指すことに変わりはないのだ…。

寧ろ、山の神さまと一体となっていく感覚を大切にしたいと思っていたから、逆にゆっくりペースの方が良い。早過ぎると、周囲の視界が狭くなってしまうようで、何だか勿体無い。

先に上がっていたYさんと山頂付近で合流。奥社で念願の法楽を執行した。

ここでは『南無石尊大権現』と、往昔の行者がそう唱えていたであろうと想像力を豊かにしつつ、有り難く拝む。大勢のハイカーのうちの数人の方が、後ろの方でそっと手を合わせておられるのが分かった。

山頂を後にして、雷ノ峰尾根を下る。途中でNHKワールドのクルーに遭遇。英語を交えつつ、しばし取材を受けたことは、先のブログに記したとおりである。

やがて『見晴し台』に到着。丁度昼時となり、元瀧でお願いした弁当を頂戴する。ここはベンチが多くあり、ハイカー憩いの場だ。場所も高台の広場のようになっていて、『もしかしたら、ここで柴灯護摩できるかも…』と思ってしまった。

勿論、丹沢での焚き火は、他の山と同じく禁止のはずであるが、鍋をもって上がり、地面を傷つけない工夫をするなどして注意を払えば、できるのかな…。尤も、関係各署の事前確認は要るであろう。

さて、ここからは阿夫利神社下社に戻る。途中、二重社に立ち寄り、しばし法楽。ここは二重滝という行場でもあり、八大龍王が祭祀されている。

丹沢の歴史研究にあって行場説明の資料とされる『大山縁起』によれば、先の雷ノ峰尾根の尾根筋には五大明王が、この二重滝では不動尊童子(コンガラ童子、セイタカ童子)が出現し、滝の流れからは深砂大王が龍神と共に出現すると言う。

◎時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ(源実朝金槐和歌集

何気に通り過ぎてしまうかも知れない箇所も、往昔は深い祈りの場であったことが、私たちの行動で少しでも伝われば、先師方のお気持ちに沿うものになるであろうか…。

下社にもどり、傍の茶店でお茶を頂く。

階段と山道をひたすら下り、最後の拝礼場所である大山寺に到着。


本尊鉄造(くろがね)不動明王秘仏)を前にして法楽。師僧よりお聞きしていたウスサマ明王像を、寺務所の方に特別にお願いして、こちらでも併せて法楽させて頂いた。

その後、さらに下って旅館元瀧に帰着。時計を見ると、午後二時。ほぼ予定時間内で終了だ。

ここでは、同館に参篭したお参りの人に対するお風呂サービス(お接待)があり、汗を流すことができて、とても気持ちよかった。無論、つかり過ぎると、ぐったりして帰るのが嫌になるだろう(笑)。

『南無遍照金剛』
『南無神変大菩薩
『南無聖宝尊師』

『帰命恵三昧耶身 願以此最勝功徳 有情共到一乗峰 疾得理智不二身 帰命頂礼大悲毘盧遮仏』

合掌