蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

関東三十六不動霊場巡拝記~発心編第⑥~【第五番札所/金蔵寺】

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★ 第五番 日吉不動尊 金蔵寺

【ご本尊】 大聖不動明王秘仏

【三十六童子】 無垢光童子

ご詠歌
○ くもりなき 不動の鏡 あらたけく 法の光は 世々を照らさん

【開山】
貞観年間(859年~877年)
円珍智証大師

【巡拝記】
ガイドブックの解説によれば、『清和天皇の御世に天台宗第五代座主/円珍智証大師の東国教化の旅途上に建立された』とある。

清和天皇に関連するところでは、同じく第九番札所の高幡不動尊が、清和天皇の許しを得た円仁慈覚大師が東国巡錫を行った際、その旅途上に建立した堂宇が始まりとされている。そういう意味では、金蔵寺とは、台密先徳方による東国布教活動の最盛期に建立された寺院となる。まさに関東の古刹の名に相応しい。

このお寺は、東横線の日吉を下車して商店街を抜け、住宅地のある坂道を10分くらい下った先にある。日吉の丘を背にする形で南面させたお寺だ。

隣接地に幼稚園があったが、お聞きするところでは、本年(平成20年)閉園したとのことだ。『少子化』ということなのだろうか。

ところで、天台宗のお寺を巡拝していつも感心させられるのは、巡拝者と分かると、その多くが本堂の内陣近くまで上げてくれることだ。これは真言のお寺でも見習うべき美風ではないかと思ったくらいで、それくらい今の真言寺院は『敷居が高い』。

『ゆっくりお参りしてください』と、朱印を準備される傍ら、ご住職自ら灯明香華をわざわざ用意してくださった。恐縮しながらも、暫しの法楽を本尊さまにお捧げすることが出来た。

ただ、一般のお参りの方が(恐らく)少なくなっているのではないか…。そんなことをフッと感じさせられたのは、奥の院に上がる坂道の参道の荒れ果てた様子だった。要するに『草ぼうぼう』の状態だったのだ。

誤解しないで欲しいのだが、これは、決して悪いことを言い募る気持ちでは記したのではない。こういう様子が、祈願の人の出入りが少なくなったお寺では、とても正直な一面を伝えるものであることを、他で目にしてよく知っていることを言いたいのだ。

実際、祈願の人を多く受け容れているお寺では、まさに『必死になって』お寺の草刈りに精出しているものだ。『剃り上げた頭だと、草や枝で、頭皮が(簡単に)血だらけになってしまって…』とか、そういう愚痴とも冗談ともつかない話は、その作業の大変さと相俟って、実際によくあることなのだ。

お参りの最後、本堂での法楽の後になるが、とても印象に残ったことがあった。

山門近くに観音堂があり、普段は開扉されてないらしいのだが、当日はご開帳されていた。その中のお知らせだったか、失念してしまったが、たしか先代住職のご命日か何かに、たまたま居合わせていたらしいのだ。

その観音堂で法楽読経の最中、微笑された方の僧侶のお顔が、自分の意識の中に飛び込んできて、思わず『エッ』と…。『よくお参りなさって…』と言うか、そんな心の会話が瞬時に交わされたような、今振り返ってみても、とても不思議な心の情景が、この金蔵寺のことを思い出すたびに、何度も何度も心の中でリフレインされるのである。

【data】
天台宗 清林山・佛乗院・金蔵寺(こんぞうじ) 
* 神奈川県横浜市港北区日吉本町2-41-2